• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「生と死の交差点」に立つある尼僧の生き方

出家する女性

2015年3月11日(水)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

松本市にある東昌寺

 「おばあちゃんとお母さんは、どこまで本当のことを知っていたのだろう」

 長野県松本にある東昌寺の尼僧・飯島惠道さんは、ふとそう思う時がある。実母は飯島さんを出産後、「育てられない」と言い残して、助産院から姿を消した。東昌寺住職だった先々代(当時42歳)と先代(当時30歳)が、首が据わったばかりの飯島さんを引き取った。後に、飯島さんと同じ助産院からもう1人、女児が寺にやってきて、飯島さんの「妹」になった。

 気付けば、松本を流れる清流田川の脇にある小さな庵に、血縁のない女性4人が暮らしていた。

養女として寺に

 江戸期に創建したと伝えられる曹洞宗の東昌寺は4代目以降、代々尼僧が住職を務めてきた、いわゆる尼寺である。飯島さんのように寺に養女としてもらわれた女性が出家し、寺を受け継いできた。飯島さんの「祖母」と「母」も血のつながりはない。

 「思春期を通して寂しいと思ったことはなかったですね。だから何? って感じでした。祖母や母は一般家庭と同じように私と妹を育てることを教育方針にしていました。私たちは普通におばあちゃん、お母さんと呼んでいて、母子家庭ということの他はあまり、気にしたことがありません」

 それでも飯島さんは病院に就職が決まった20代半ば、初任給を使って実親の足取りを調べたことがあった。しかし、出自に関して、関係者は固く口を閉ざし、情報を得ることはできなかった。

 飯島さんは生まれながらにして養女として尼寺に入った。ゆくゆくは寺の後継者になることが運命づけられていたとも言える。だが、母は「将来は好きな人生を歩めばいい」と娘の意思を尊重してくれた。

 飯島さん自身、幼い頃、尼僧になることに疑いは持っていなかった。だが、成長するにつれ、「社会経験を踏まずに仏道に入ることへの逡巡が生まれ始めました」とも振り返る。

東昌寺の本堂の前に立つ飯島惠道さん

 一般社会への憧れは、高校時代、腎臓病を患って信州大学病院に入院したことで芽生え始めた。病院には信州大学医療技術短期大学が併設されていて、看護師に興味を抱くようになった。高校卒業後はこの医療短大に進学した。

 「大学では、それまで知らなかった世界や情報に触れ、楽しくて仕方がなかったです。他県出身の友達もできて、尼僧以外の人生もありかなと思い始めました。『このまま病院に就職すれば、お寺に入るまでの期間を先延ばしできるかも』と、心が揺れ始めていました」

コメント5

「宗教崩壊」のバックナンバー

一覧

「「生と死の交差点」に立つある尼僧の生き方」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

日経おとなのOFF副編集長、浄土宗僧侶

京都市景観市民会議委員(2016年)、佛教文化学会会員。 1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、報知新聞社へ入社。2005年日経BP社に入社。日経ビジネス記者などを歴任。2016年4月より日経おとなのOFF副編集長。浄土宗僧侶の顔も持つ。正覚寺副住職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

企業や官公庁の幹部のメールボックスの内容が、まるごと数十万〜数百万円で売られている事例もある。

名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官