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お寺の税金が免除されている理由

ビジネスパーソンのための仏教入門(3)

2015年5月30日(土)

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(前回の「タイのお坊さんが「サングラスにグッチのバッグ」でも尊敬される理由」から読む)

原始仏教の第一人者である佐々木閑・花園大学教授による「ビジネスパーソンのための仏教入門の第3弾。アニメや書籍などで描かれている「一休さん」の世界には、知られざる社会インフラの機能があった!? 現在の寺院が住職のプライベート空間になっている実態に迫りつつ、「寺の存在意義」「宗教課税」に一石を投じる。

一休さんの真実

今回は少し、ディープな質問から始めさせていただきたいと思います。前回、先生は僧侶の社会的役割を「死や絶望から人をすくうこと」とおっしゃいました。実は、最近、私がある尼僧さんを取材した際、まさにそういう活動をされていました。尼寺や尼僧って実は、伝統的にそうした役割や機能があった。

佐々木 閑(ささき・しずか)氏。(写真:杉本幸輔、以下同)

佐々木:あったと思います。例えば小僧さん時代の一休さんが活躍する世界がそうです。よく当時の寺の姿がドラマなどで描かれる際に、寺に和尚が1人いて、その周りにかわいい小僧さんが沢山いますね。そんな小僧は、みんな村の口減らしや、やっかい払いで、寺に預けられている子供たちです。このように寺に子供を預けるという風習は、昔からあったのです。戦前まであった。

結構、最近まで寺に子供を預けることが、あったのですね。

佐々木:私の同僚の先生にも小さい頃、村の寺に預けられ、そのまま禅僧になった人がいます。前回までの話で、本来の仏教には必須であるはずの「律に基づいたサンガ」が日本にはなく、絶望した人を受け入れることをしてこなかったことが、仏教の衰退につながっていると言いました。しかし日本にも、律は存在しないけれど行き場のなくなった人の受け皿として寺院が機能した時期は確かにあります。釈迦の仏教ほど完全ではないにしても、日本の寺だって、サンガに近い役割を果たしてきたのです。

それは貧しい時代、そういう社会の底辺で生きる人たちが、寺があることで救われた時代があり、それに対し、寺が機能していた時期があったということですね。

佐々木:そうです。

これが社会の成熟に伴って、人権問題とか、個人情報問題とか、法令の問題とかが叫ばれ出します。また、昨今のネット時代の影響もある。社会の構造変化とともに、寺の機能が失われてきているということでしょうか。

佐々木:それは確かにあるでしょう。ただ、釈迦の時代でも同じようなことがありました。

 例えば人権問題。サンガでは、20歳にならなければ正式な僧侶として受け入れなかったのです。

 ですから児童相談所のような施設から子供が本人の意思とは関係なくサンガに送られて、そのまま無理矢理、僧侶にさせられる、などということは釈迦の時代から認められていませんでした。見習い修行をしているかわいい小僧さんたちも、20歳の段階で、そのまま寺に残るか、社会に出て一般人として暮らすかをしっかり選択する自由があったのです。

 サンガに入るということは、本人が自分で決断し、自分で納得したうえでそこに行く。それが原則です。ですから、人権や個人情報の問題があるから、寺が人を受け入れられない、などということはあり得ません。現代においても、困ってやって来る人を受け入れるのは、寺の重要な機能の一つだと考えています。

コメント5件コメント/レビュー

30年弱以前に、京都の「古都税」について、コラムを書いたことがある。寺の観光収入に課税しようとする市に対して、京都仏教会が反対運動を展開して、参観停止で対抗した。大口の清水寺が最も注目された。難しい問題で、一方に旗を揚げることが出来ず苦慮した。固定資産税が取れないための便法を考えた市当局。公の施設として、文化財を公のために保護していく役割を強調する仏教会。佐々木先生の考え方は、この問題にも答えを与えていると思え、教えられる。しかし、その場合、一枚岩として結束したい仏教会は分裂の方向へ向かうとして、反対するだろう。お考えをお聞きしたい。(2015/06/01)

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「お寺の税金が免除されている理由」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

日経おとなのOFF副編集長、浄土宗僧侶

京都市景観市民会議委員(2016年)、佛教文化学会会員。 1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、報知新聞社へ入社。2005年日経BP社に入社。日経ビジネス記者などを歴任。2016年4月より日経おとなのOFF副編集長。浄土宗僧侶の顔も持つ。正覚寺副住職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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いただいたコメント

30年弱以前に、京都の「古都税」について、コラムを書いたことがある。寺の観光収入に課税しようとする市に対して、京都仏教会が反対運動を展開して、参観停止で対抗した。大口の清水寺が最も注目された。難しい問題で、一方に旗を揚げることが出来ず苦慮した。固定資産税が取れないための便法を考えた市当局。公の施設として、文化財を公のために保護していく役割を強調する仏教会。佐々木先生の考え方は、この問題にも答えを与えていると思え、教えられる。しかし、その場合、一枚岩として結束したい仏教会は分裂の方向へ向かうとして、反対するだろう。お考えをお聞きしたい。(2015/06/01)

訴訟を起こすエセ檀家もどうかと思いますが、寺を私有財産のごとく扱う坊さんも敬えない。何より世のため人のためになっていない仏教って衰退しますよね。現実、人寄せパンダの如き仏像なり建造物がある寺は潤っているようですが、そんな観光客を満足させる寺は多くない。羽振いいと思えば法外なお布施に志.を指定する厚顔な寺に私自身はあきれています。清貧を旨とした道元を祖とするお寺なんですがね。住職のなり手がない寺が廃寺となる話をききますが、仏教は人助けの宗教だったのでは?ブッダは世の中をよくしようとしたわけではないが、人が悟りを開くために最大の助力をした人。時間とともに仏教は変遷を。しかし、元は悩める人を助けるのがその使命だったでしょう。それができないなら、意味ない。今だにオウムなどに走る若者を助けてから大層なことを口にしてほしいですね、テレビに出てる尼さんも。(2015/05/31)

「死や絶望から人をすくうこと」がお寺の役割とすると、現在の殆どの寺は機能していないと思う。檀家の制度によって、一旦寺との結び付きが出来ると、墓の遺骨を別の場所に移す事が事実上出来ない。唯一の繋がりを切る方法は、現在過疎の村で起きている「墓の放置」しかない。この事から、街中の寺の住職はベンツやレクサスを乗り回し、過疎の村の住職は半減した檀家からの護持費等の金は殆ど上部組織への上納金として消えてしまうので、生活費はアルバイトなどのサイドビジネスで稼ぐしかない寺が多いそうだ。上納金の多い寺の住職は僧侶として優れているかどうかとは関係なく、僧籍における地位が向上していく。まるで花道茶道の師匠と同じ仕組みで仏教界が運営されている様だ。私自身は十数年前に親から、「今後、寺の事は面倒を見てくれ。」と言われて「跡取り」として了解したものの、55歳を過ぎて子会社に転籍して給料が半減したところに「本堂の補修費用」という事で三十数万円の提供を要請する手紙を受け取って驚いた事を今でも覚えている。会社の友人から、自分の集落では寺や神社の跡取りが大学に入ったり、結婚したりでも上納金が必要という話を聞いた事があったが、同じ様な事が自分の身に降りかかって来ようとは思ってもいなかった。正直言って年金生活で今後も何かある度に少なからぬ出費を要請される位なら、新たに市の公営墓地に移したら定額で料金も安いので予定も立て易いが、今後どの様にお寺との付き合いをしていくべきか悩んでいる。自分自身は名目上は「仏教徒」ではあるが、法事の時に意味も分からず「南無阿弥陀仏」を唱える事しか知らない。この状態で、黙った金さえ払っていれば全て丸く収まる、というのは酷すぎると思う。 仏教が本来の役割を社会の中で担っていけばそれを横から「支援する」事には抵抗はないと思うのだが、その様に仏教界が改革される事に期待して良いのだろうか?(2015/05/30)

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三品 和広 神戸大学教授