• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

女性管理職、挫折から復活への軌跡(前編)

GEWEL代表理事、堀井紀壬子さんに聞く
マネジャーに昇進。その後“左遷”の憂き目にあって…。

  • 大塚 葉

バックナンバー

2006年4月11日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 企業の中で実績を上げ、管理職となった女性たち。しかし彼女たちも、挫折を体験せざるを得ないことがある。辛い経験を乗り越えて次のステップにいくために、どのような努力をしてきたのか。今回は、NPO法人(特定非営利活動法人)GEWELの代表理事を務める堀井紀壬子さんにお話をお聞きした。

 GEWELとは、ダイバーシティ促進や女性ビジネスリーダーのネットワーク作りなどを支援する団体で、2004年に堀井さんが数名の仲間とともに設立した。GEWELを立ち上げるまで堀井さんは、外資系化粧品メーカーのエイボン・プロダクツに勤務。ここでは、様々な部署で管理職を務めてきた。

 1969年、大学を卒業した堀井さんが最初に入社したのは、日本航空。配属された営業本部で任された仕事は、観光ニーズの調査だった。「観光で海外旅行する時の予算や行きたい場所について、年齢別、性別で調べたのです。2000万円ほどかけて大規模な調査を行いました」。当時は新婚旅行でハワイに行く人が増加し、海外への観光旅行ニーズが高まってきた時期だった。日本航空に3年勤めた後、学生時代から付き合いのあった男性と結婚。これを機に退職し、4年間“専業主婦”をすることになる。その後堀井さんは大学に学士入学し、経営史を学ぶ。「でも私は、学問はどうも好きじゃないと分かったんです」。

30歳で離婚、再就職へ

 またビジネスの世界に出たいと思ったが、夫は再就職に反対。堀井さんは、4年間の結婚生活に終止符を打った。1976年、30歳の時のことである。再就職に当たり必要な資格や技術がないと分かり、人材コンサルティング会社に相談した堀井さんは、半年間英文速記を勉強、外資系企業の秘書として再スタートを切る。当時は300万円だった年収も、3年間勤めるうちに500万円にアップ。しかし、PCやインターネットの普及により、秘書の仕事が減ってきたことを知る。「これまでは秘書が作ってきた原稿を、役員がPCで自分で作れるようになってきた。メールによって、部下への連絡も取りやすくなったので、秘書のニーズが少なくなってきたのです」

「女性リーダーのビジネススタイル」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

テスラのような会社と一緒にできないのなら、パナソニックはイノベーションを起こせないだろう。

津賀 一宏 パナソニック社長