星野社長に任命されて問題解決を図るリーダー、通称「ウルトラマン」は、どのようにして育ち、功績を上げていったのか。前回に続き、初代ウルトラマンを追った実践編のその2。
「リゾナーレ小淵沢」で本領発揮
富山氏は、軽井沢と小淵沢を行き来しながら、小淵沢では2つのプロジェクトを同時進行でこなしていた。彼が最初にウルトラマンと呼ばれるようになった理由もここにある。
小淵沢でのプロジェクトの1つはリゾナーレの正面を飾る回廊の活性化プロジェクト、もう1つは子供たちを楽しませるためのキッズプロジェクトであった。どちらもリゾナーレのリゾート再生には欠かせない目玉であり、失敗は許されなかった。
リゾナーレのスタッフは、買収元である 星野リゾートへの期待もあって、プロジェクト参画意欲は高かったが、 問題解決の方法は理解していなかった。最初に富山氏がリゾナーレ小淵沢に赴いて改革活動について話したときも、すぐに不満の声があがった。それまでの組織は、上からやれと言われたことをそのまま実行するだけだったので、自分たちで考えることの重要性を説いても、すぐに「リーダーが決めてください」と言い返されてしまう。
そのため、富山氏はプロジェクトへの参加メンバー集めの際に、彼らの上司に1人ひとり掛け合って、プロジェクト参加を要請しなければならなかった。
いざ会議をしても話がまとまらない
このように苦労して集めたメンバーであったが、いざ会議をしても話がまとまらない。例えば、回廊に出す店舗を募ると魅力的なアイディアはいくらでも出てくるのだが、「なぜそれをやりたいの?売上の見込みは?」と聞くと、みんな黙ってしまう。そこで自らは ファシリテーターとなって、意見のとりまとめ役に徹した。
さらに彼は、「上司に判断してもらうためには、説得材料が必要だろう。この企画を通したいなら、これをやったらどんな意味があるのか、どれくらい売り上げがありそうなのか、必ず裏付けをとらないといけないんだ」と、メンバーが論理的に考えるよう粘り強く指導していった。
特に心を鬼にしてメンバーに迫ったのは、「どうしてもこれはやらなければいけない」と「イベント開催の期日は迫っており時間はない」という2つだった。自分たちで考え、決断し、その結果を見て改善策を考え、実際に運営するプログラムを再構築するという作業を、正味2カ月間でやらなければならなかったのだ。
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