• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

【第4回】日本電鍍工業3代目 伊藤麻美さん【後編】

  • 白河桃子

バックナンバー

2007年2月6日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 前編に引き続き、日本電鍍工業代表取締役社長の伊藤麻美さんにお話を伺う。

 父の死後、赤字転落した会社の社長になることを決意した伊藤麻美さんの取った経営戦略とは、どんなものだったのか。

 2000年当時のメッキ業界は、携帯電話やパソコンのメッキ業務が主流になり、どこのメッキ会社も好調だった。しかし時計メーカーは、生産拠点を海外に移しつつあった。時計のメッキだけに依存していた日本電鍍工業は出遅れ、新たに携帯やパソコンのメッキ事業に途中参入できない。コストを極端に下げるか、またはどこかの会社がトラブルを起こし、そこの仕事が回ってくるのを待つしかなかった。もちろん、今から新たな設備投資をする資金もない。

日本電鍍工業代表取締役 伊藤麻美さん(写真:皆木 優子)

日本電鍍工業代表取締役 伊藤麻美さん
(写真:皆木 優子)

 「新規開拓しかない」。そう思った伊藤さんは、電子機器などの展示会に自ら足を運び、ブースを回って営業した。「この製品はメッキですよね? うちもメッキ屋なんです」、そう言って社長の名刺を出す若い伊藤さんに、ブースにいた担当者たちはさぞ驚いたことだろう。

 また伊藤さんは、女性の若手社員と一緒に会社のホームページを立ち上げた。その頃会社には、インターネットに接続できるコンピューターが1台しかなかったのだ。さらに、製造業の発注サイトにも登録した。

 これまでこのコラムで取材してきた「跡取り娘」の多くは、時代の流れのせいか、新しい経営戦略としてIT(情報技術)を推進した人が多かった。それが良い転機になった会社も少なからずある。伊藤さんの転機もITがきっかけで到来した。

 「ホームページを見た、といって注文が来たのは、今まで仕事をしたことのない医療機器メーカーでした」。このメーカーによれば、他のメッキ会社から、技術的に難しいと断られたメッキ作業があるという。困ってインターネットを検索したところ、日本電鍍工業のホームページを見つけたという。

 早速伊藤さんは、この医療機器メーカーの注文内容を社員に相談したが、「難しすぎて、できない」とみな首を横に振る。

 「これができなかったら、うちに未来はない。この仕事をやらないと、明日につながらない」。こう言って社員を激励したのは、伊藤さんだった。「うちの技術をもってすれば、できないことはないはず」と説得していくうちに、半信半疑ながら「やってみよう」という社員も出てきた。

 伊藤さんはなぜ、それほど自信を持って社員を引っ張っていけたのだろう。1つには、日本電鍍工業の技術力に対する確信があったからだ。「社員たちのポテンシャルを信頼していました。昭和40年代に、社員を既に欧州に留学させるほど技術開発には熱心だったのです。わが社ではメッキ液も開発しており、色もたくさんあります。厚くきれいにメッキする技術は手作業で、まさに『職人の技』なのです」。しかしこうした技術力は、意外に外部には知られていないというのだ。

コメント1

「「跡取り娘」の経営戦略」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

プロフェッショナルとして、勝負どころで安易に妥協するなら仕事をする意味がない。

手嶋 龍一 作家・ジャーナリスト