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この“命”を次世代につなげたい

さいたまの跡取り娘、伊藤麻美氏、山田香織氏に聞く(1)

  • 北湯口ゆかり,大塚 葉

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2008年11月12日(水)

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 10月22日、さいたま市北区の会場で、講演会「地元さいたまで活躍する女性企業人」が開催された。この日パネルディスカッションに登壇したのは、日本電鍍工業社長の伊藤麻美さんと、盆栽家の山田香織さん。コーディネーターは連載筆者の白河桃子さんが務めた。このパネルの様子を、2回に分けて紹介する。

白河 コーディネーターの白河桃子です。よろしくお願いします。今日は、「未来のさいたまを女性パワーで元気なまちに!」というテーマで、日本電鍍工業代表取締役の伊藤麻美さんと、清香園で「彩花」教室を主宰する山田香織さんにお話しいただきます。まず、お2人が家業を継いだ時期とその時の年齢を教えてください。

伊藤 私は今から8年前で、31歳の時です。

山田 私は22歳で、9年前です。

白河 お2人とも若手ながら10年目の経営者ですが、子供の頃から「跡取り娘」として家業を継ぐという覚悟はあったのでしょうか。伊藤さんはいかがですか。

伊藤麻美(いとう まみ)

伊藤麻美(いとう まみ)
日本電鍍工業代表取締役。1967年東京生まれ。上智大学外国語学部比較文化学科卒業。FMラジオ、テレビなどのフリーランスDJとして活躍した後、98年に米国カリフォルニア州、宝石の学校GIA(Gemological Institute of America)にて宝石の鑑定士・鑑別士の資格を取得。帰国後、2000年3月、日本電鍍工業の代表取締役に就任(写真:山田 慎二)。

伊藤 私の場合、最初は家業を継ぐ予定はまったくなく、父も私を跡取りとしては育てませんでした。私は、大学卒業後ラジオの世界に飛び込み、ディスクジョッキーをしていました。好きだったR&Bやヒップホップなどの音楽を日本で紹介しながら、様々なアーティストにインタビューしたいと思ったのです。当時は非常に恵まれた環境で、父の大きな傘の下で育ったので、経営者の役割など考えずに育ちました。ディスクジョッキーを辞めた後は米国に留学して宝石の鑑定と鑑別士の資格を取り、あるパーティーで会った当時のカルティエ社長から誘いを受け、ほぼカルティエ就職が決まっていました。

白河 伊藤さんは「跡取り」としてのプレッシャーを感じずに育ったわけですが、盆栽家に一人娘として生まれた山田さんは、生まれた時から家業を身近に感じて育ったのではないでしょうか。

山田 はい。私は伊藤さんとは逆で、子供の頃から祖母も含め両親が、それとなく家業のことを私に伝えていました。本当に「刷り込まれていた」と思います。私が小学校へ上がる頃、父の日に描いた絵の横に「私が頑張って5代目を継ぎます」と書いたりしていました。

白河 ご両親の教育が、子供にも浸透していたのですね。

山田香織(やまだ かおり)

山田香織(やまだ かおり)
1978年生まれ、盆栽家。「彩花」盆栽教室主宰。清香園4代目園主、山田登美男の一人娘として生まれる。立教大学経済学部卒業。盆栽の魅力を伝えるべ、雑誌、講習会、講演会などで精力的に活動している。2008年4月より、NHK教育テレビ「趣味の園芸」の司会を務める。主な著書に『山田香織の盆栽スタイル』(日本放送出版協会)、『モダン盆栽』(講談社)など(写真:花井 智子)。

山田 でも思春期の頃から、家業がものすごく嫌いになったのです。盆栽というのが古臭いイメージがして、高校でも恥ずかしくて家業のことを友人に話せませんでした。「何でこんな家に、しかも一人娘として生まれたんだろう」というコンプレックスに近い思いが、大学1年生ぐらいまで続きました。

白河 でもその考えが変わって、跡取りの道に入られるわけですが、家業を見つめなおすきっかけは何だったのでしょうか。

山田 18歳の時に、父が海外旅行に連れていってくれたのです。かなり奮発して、飛行機はファーストクラス、フランスの有名なホテルに泊まるという長期間の旅行を経験させてくれました。この時に、フランスの一流の文化に触れたのですが、感性的にとてもギャップを感じたんですよ。私が育った盆栽園の、和の文化の感性――いわば「引き算の美学」「余韻の美学」――とは正反対の世界だ、と思ったのです。その時初めて、自分の生まれた環境を客観的にとらえ、盆栽を「古臭い」と考えるだけではなく、日本文化の1つとして見られるようになりました。

白河 山田さんのように、海外に出てから自分の家業を見直した跡取り娘さんは多いですね。醤油屋の「かめびし」の岡田佳苗さんも最初は家業が大嫌いでしたが、海外に留学している時、友人に「このおいしい料理で使っている調味料は何?」と言われ、初めて家業を見直したそうです。会場の皆さんの中で、息子さんや娘さんがなかなか跡を継いでくれない場合は、1回海外留学を進めてみるといいかもしれません。

家業を継ぐと決意した瞬間

白河 では、お2人が実際に家業を継ぐ決意をしたきっかけをお聞きしましょう。伊藤さんは、米国でカルティエ入社がほとんど決まっていたのに、突然実家から呼び戻されたのですよね。

伊藤 はい。1999年夏、31歳の時に日本から「会社が非常に危険な状態だ」と連絡が入りました。父はその10年前に亡くなっており、別の人が会社を継いでいました。ただ、私が呼び戻されたのは継ぐためではありませんでした。当時住んでいた家は父が買ったものでしたが会社名義で、金融機関の担保に入っていたのです。会社がなくなり家も売らなければならないから、引っ越す準備のために戻ってこいということだったのです。

白河 日本に帰ってみると、会社は大変なことになっていた…。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官