連載の第2回目で触れましたが、私たちは「改革を信じる気持ち」が消えないうちにすぐやる、そしてやり続ける、ということを大切にしてきました。いいと思ったらすぐに取り入れ、徹底してやるのです。「一日も早く改革を成功させなければ」という焦りもありました。
時にそれが度を超して、失敗したこともあります。例えば、効率化を求めるあまり会議を大幅に減らしたことで、かえって組織をぎくしゃくさせてしまったことがありました。なぜうまくいかなかったのでしょうか。
本校では学校改革を進める過程で、様々な無駄を省き、効率化を図ってきました。そうすることでたくさんの成果を生み出していたので、会議においても無駄をなくそうと考えたのです。
その頃の私たちは、会議にあまりいいイメージを抱いていませんでした。「会議に時間を取られている。無駄な時間を過ごしている」と感じる時もありました。

茶道の授業。留学生も交じってお茶をたてる(写真:筆者、以下同)
学校という職場は、1人がいくつもの役割を持つため、出るべき会議も多くなります。毎朝、全員でその日の打ち合わせをするほか、週1回の職員会議、部署の会議、教科の会議、学年会議…。朝は10分程度で終わるものの、ほかの会議は短くても1時間くらいはかかります。
各自の教育論はそれぞれに正しくて、話していると平行線になることも多いため、放課後の会議などは議論が白熱して、気づけば数時間たっているということも少なくありませんでした。
会議で語り合うのはいいけれど、その間、生徒からの質問に答えられない、クラブ活動を見られない、悩みごとの相談にも乗ってあげられない…。「これではもったいない。会議より生徒といる時間の方が大事だ」。そう考えて会議自体を思い切り減らし、内容も変えました。
まず毎朝の全体打ち合わせは原則廃止、職員全員での会議は月1回に。日頃の連絡や伝達事項はイントラネットやメールを活用することにして、会議の開催回数を従来の3分の1程度に減らしました。会議の中身も連絡や報告を極力減らし、審議の必要なものにしぼり、かつ発表者は分刻みの持ち時間制とし、予定時間が全員に分かるようホワイトボードに記入しました。
会議の回数を減らし短くしたことで、確かに効率化はされました。しかしその後、組織としてうまく機能しなくなるようなことが起きてきたのです。
例えば、以前は行事の段取りなどを参加者全員で読み合わせしていました。しかし当時は多くの人が、「各自が黙読すれば分かることなのに、どうしてわざわざ時間を取って皆で読む必要があるんだろう」と思っていました。そこで会議での読み合わせをやめて、イントラネットで各自が読むということにしたのです。
これはいい視点ですが、難しい部分でもあると思います。遅い人」がいるから「早い人」がいる、「出来る人がいる」から「出来ない人がいる」、自由があるから不自由がある、「いじめる人」がいるから「いじめられる人」がいる。要は「格差」があるからそこに「価値」が存在する、という考えを受け入れられないと難しい。格差そのものが悪者だというような風潮の今の社会において、違いをきちんと認め合うことを子供たちに教育できるのであればすばらしいことだと思います。(2008/11/13)