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赤字のメッキ会社を黒字転換、盆栽の新スタイルを確立

さいたまの跡取り娘、伊藤麻美氏、山田香織氏に聞く(2)

  • 北湯口ゆかり,大塚 葉

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2008年11月18日(火)

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 さいたま市北区で開催された講演会「地元さいたまで活躍する女性企業人」では、この連載でも登場した日本電鍍工業社長の伊藤麻美さんと、盆栽家の山田香織さんが登壇した。連載筆者の白河桃子さんがコーディネーターとして、2人の経営戦略を伺った。

前回から読む)

白河 では、お2人が会社を継いでから、どう変えていったかをお聞きします。まず伊藤さんの会社、日本電鍍工業は大きな負債を抱えていましたが、どのようにしてV字回復させたのでしょうか。

伊藤 メッキを専門にしている当社は、創業当時は腕時計の仕事がメインで、セイコーウォッチ、シチズン時計、オリエント時計などほとんどの時計メーカーさんのメッキ指定工場として会社が伸びてきました。しかし1990年頃からの産業の空洞化で、時計をはじめ様々な産業が海外にシフトしていきました。

 1980年代から既に時計は成熟産業だったので、父は携帯電話やパソコンなどの部品の仕事の検討も始めていました。業績がいいからこそ、時計のメッキにこだわらず業態を変えることを考えるべきだと言っていたのです。しかし、それが実現する前に父は病で亡くなりました。経営を引き継いだ者は父の言っていたことを守らず、売り上げはどんどん減っていき、赤字の垂れ流しが10年近く続いたのです。

白河 会場の皆さんは、うなずいておられますね。日本でモノ作りをなさっている方にとって、産業の空洞化、海外に工場の拠点が行ってしまう状況では、一品種だけに寄り掛かっていると大変なことになる。まさにそういった経験をされたわけですが、この事態を伊藤さんはどうやって打開したのでしょうか。

伊藤麻美(いとう まみ)

伊藤麻美(いとう まみ)
日本電鍍工業代表取締役。1967年東京生まれ。上智大学外国語学部比較文化学科卒業。FMラジオ、テレビなどのフリーランスDJとして活躍した後、98年に米国カリフォルニア州、宝石の学校GIA(Gemological Institute of America)にて宝石の鑑定士・鑑別士の資格を取得。帰国後、2000年3月、日本電鍍工業代表取締役に就任(写真:皆木 優子)。

伊藤 当時売り上げの8~9割が時計分野でしたので、その比率を下げたいと思いました。私が就任した2000年は、すべての業種が悪かったわけではなくて、携帯やパソコンなどのIT分野は非常によかったのです。こういう分野に携わっているメッキ会社は、とても業績がいい。うちもこの分野へ行きたいと思って営業を掛けたのです。

 しかし当然、後から参入してきた会社はなかなか受け入れてもらえません。そこで、こうなったらどんな分野でもと思い、テレビや雑誌、新聞に取り上げられているメーカーさんに「メッキ物の仕事はないか」と電話を掛けまくりました。展示会に出展するお金もなかったので、展示会に足を運んで金色の部分のある製品を探しては、「これはメッキですよね。うちはメッキ屋なんです」と言って名刺を出したりしていました。

白河 会社のホームページも作りましたよね。

伊藤 はい。ディスクジョッキー時代に、インターネットが私の一番の情報源だったことを思い出したのです。これを会社も活用できないかとウェブサイトを立ち上げたり、中小企業の製造業向けの受発注ページに登録したりして、うちの存在をほかの業種の方々に知ってもらえるように活動しました。

 実は私は会社の代表になったらすぐにサイトを作るつもりで、早い時期から「nihondento.com」のドメインを用意していたのです。ただ、サイトのデザインを外注する費用はなかったので、何人かの社員と一緒に自力でサイトを作り、会社の紹介ができるようにしました。すると、当時中小企業でサイトを持っているところが少なかったこともあり、いろいろなところから問い合わせが来ました。

 ある時、医療関係会社からのメッキの依頼が来たのです。新製品を作るため、長年ほかのメッキ会社に試作を依頼していたのですが、どの会社もうまくいかなかった。諦めようと思いつつネットで検索したところ、うちのサイトを立ち上げた時にマッチして、うちのページがヒットしたとのことで、すぐに連絡が来ました。「こんなメッキ屋さんがあるとは知りませんでした。早速ですがやってもらえませんか」と試作の案件を受けたのです。

白河 その時、社員の皆さんの反応はどうでしたか。

伊藤 最初、社員の中に「それはできそうもない」と言う人がいたのです。うちはほとんどのメッキ液を自社開発していますが、うちにとって当たり前と思っていた技術は、ほかの分野では素晴らしいものだったり、その逆ということもありました。つまり「井の中の蛙」のように外が見えなくなっていたのですね。でも、今回の案件を受けなければ、うちの会社に明日はない。それに私には、医療と美容と健康の分野は不況になっても強い、という思いがありました。この分野でどうしても仕事を取りたかったのです。

 私には、メッキのことは分からない。だから、何でも「できる、できる」と簡単に言ってしまう。社員にとってはいい迷惑かもしれません。でも結局社員は私の気持ちに応えてくれて、メーカーさんが大喜びするほどの品質に仕上がりました。その受注が量産につながったことが、何よりも社員の自信やモチベーションの向上につながりました。これをきっかけに、本当に社内の雰囲気は変わったと思います。

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