「気づき」という言葉を、最近よく聞くようになりました。
教育の現場から生まれた言葉のようです。例えば、「子供たちに気づきを与える」といった使い方をします。また、スピリチュアルな世界でもよく使われています。
「気づき」という言葉には、「自分の中に既に何かがある」という前提があり、自分の中にあった「何か」に何らかの経験を通して気づくこととして使われています。
「気づき」で「本当の私」が見つかるか
例えば親が答えを与えず、子供にはまず自分で考えさせて「気づきを与える」。確かによいことのような気がします。
しかし「親が答えを与えない」と言いながら、「気づき」という答えは期待しているということで、実は答えを与えるのと変わらないのかもしれません。そもそも、親が思いも寄らないような、すっとんきょうな発想を子供がしたとしても、「気づき」とは言われません。
つまり「気づき」は「いいこと」でなければいけなくて、それは「本当の私」を発見できるという幻想につながっています。
これは「自分探し」とも似ています(参考記事はこちら)。自分の中には本来、「素晴らしい私」や「素晴らしい考え」があって、それが「気づき」によって探せるという考え方です。
しかしこういう「本当の素晴らしい自分に気づくこと」「自分を探すこと」を続けると、疲れてしまうものです。
経験の中から「気づき」を探すよりも、自分の様々な経験を「ネタ」や「芸」にしてしまう方が面白いと思います。
「気づき」には、「この経験でこんな“気づき”があった」と誰かに話して「褒められたい」という欲望があります。例えば仕事でトラブルがあった時に「今回のトラブルを経験して“気づき”がありました。大切なのは、自分から歩み寄ることだったのです」などと発表して、「なるほど!」「さすが」と褒められたいのです。
しかしそんなに「気づき」を探すのも、疲れるものです。
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