昨年、ふと夜中にテレビを見ていたら「婚活」番組をやっていた。芸能人の森三中の3人が出ていたのだが、なんと番組の中で、拙著『「婚活」時代』(ディスカヴァー携書)や『キャリモテの時代』(日本経済新聞出版社)で書いたフレーズが、歌になって取り上げられていた。
「年収600万円以上稼ぐ男は3.5%しかいないから、早いもの勝ちなのよ~」という内容の歌であった。
あわてて『「婚活」時代』の共著者、山田昌弘中央大学教授にメールで連絡してしまった。
「大変、先生! 森三中がこんな歌を歌っています」
確かに山田教授の調査結果からひいて、「東京の600万円以上稼ぐ独身男性は…」というフレーズは、この「キャリモテ」でも使っているし、「婚活」という言葉ができる前から女性誌の取材などでも、いつも使ってきた。
それは、「養ってくれる男性はもうほんの一握りしかいない。だから女性たちも、大勢が討ち死にしてしまうレッドオーシャン市場を目指すのはやめて、働く覚悟を決めることで、結婚がしやすくなる。養ってくれる男性を探していると、どんどん出産適齢期を逃し、結婚すら危うくなってしまう」ということに気づいてもらうためだ。
「婚活力」は「女性の稼ぎ力」であることを知ってほしいと、あえて具体的な数字を挙げた。しかし、森三中の歌を聞いていると、まるで「逆の方向」に行っているではないか…?
こうして「婚活」という言葉は誤解を含み、一人歩きしていく。それがブームとなった言葉の宿命でもあるのだが、山田教授とは「今年は結婚観を変えていくことを、もっとメッセージしていきましょう」という結論に達した。婚活で最も言いたかったメッセージは「結婚観の変革」である。
変革とは「誰でもいつか自然に結婚できる」「男性がメインで働き、女性が家事育児中心」という日本の結婚意識に対する変革である。私はこれを、「昭和的結婚観」と呼んでいる。女性が家事育児の中心というのは、「もちろん仕事は持ちますよ。でもそれは、夫の稼ぎがあるうえでの、自己実現的な仕事を」という「新専業主婦志向」も含んでのことだ。
「婚活」という言葉がブームになったおかげで、前者に関しては「これまでのような、自動的に結婚できるシステムはもう崩壊してしまった。だから受け身で待っていても自然には結婚できない」というメッセージが伝わったと思う。「結婚は誰でも自然にできるもの」という意識は変革されたのだ。
「負け犬ブーム」で「うかうかしていると結婚できない」ことに、女性たちは既に気がついていたのだが、「婚活ブーム」で男性もこれに気がつきだした。女性たちは「負け犬」で気がつき、その後「婚活」で具体的に動き出したのだが、男性たちはまだまだ具体的に動くには至っていないというところだろう。何しろ男性たちには、「生物学的に余裕」があるのだ。経済的にはないかもしれないが。
既に「婚活」をしている人がいて、そこに言葉がついたので、ブームが拡大したのだが、それだけでは「昭和的結婚観」はなかなか払拭されない。むしろ「婚活」の「婚」という字が、「昭和的結婚」の亡霊を呼び起こしてしまったのだとも言える。
結婚なんてしなくていい、と言う人がもっと大勢いてもいいと思うのだが、まだまだ「結婚」にこれだけの人がこだわっていたのだと、婚活に関しての「是否」を問う議論も含めて、改めて驚いた。
結婚は経済的なもののためにするのではない。結婚したいからするのである。結婚を損得で考えるなら、経済的には損である。そういう考えだから、結婚をしたがらないのである。家庭は営利企業ではない。だから、営利企業のような原理で考えてはいけない。企業であれば、もうメリットがなくなったパートナーとは、手を切るのが正解である。しかし、結婚相手と、もうメリットがなくなったから離婚すると言うのでは、家庭ではない。打算である。年をとって、美貌が失われたから、窓際族で稼ぎが悪くなったから、夫や妻を取っ替えよう、リストラしようと考えるだろうか?そう考える人は、結婚しない方がいい。(2009/07/03)