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【24】女性芸能人という生き方~グラビアアイドル・モデル・女子アナ編~

生き残りの明暗を分けるのは「バラエティー神経」

  • 深澤 真紀

バックナンバー

2009年6月12日(金)

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 前回は、女優とアイドルについて考えました。

 現在は女性アイドルにとって不遇の時代ですが、その原因としてグラビアアイドルと女性アーティストの隆盛も挙げられます。

 女性アーティストのテーマは次回に送り、今回はまずグラビアアイドルについて考えます。

 グラビアアイドルはかつて、完全なる「男性のためのアイドル」でした。主に雑誌のグラビアや写真集で活躍し、テレビのバラエティー番組などにはあまり出ず、女性ファンの獲得を目的にはしていませんでした。

 グラビアアイドルの元祖とも言われ、1970年代に活躍したアグネス・ラム(1956年生まれ、ハワイ出身の中国系米国人)は、日本語もおぼつかないくらいでしたから、彼女の人となりを知る機会はなかったくらいです。

 ちなみに、マンガ「うる星やつら」(高橋留美子著)のラムちゃんの名は、アグネス・ラムから来ています。日本人にとってはマリリン・モンローのように大きな存在でした。

アイドルからバラドル、そしてママドルへ

 そんなグラビアアイドルの存在感も大きく変化しています。

 理由の1つは、お笑いとバラエティーのブームで、「かわいいし、喋れる」という女性芸能人のニーズが高まったこと。

 ここに参入したのが、アイドルからバラエティー番組に「降りていった」バラドル(バラエティー・アイドル)です。山瀬まみ(1969年生まれ、夫は俳優の中上雅巳)や井森美幸(1968年生まれ)がその走りの存在です。

 おニャン子クラブ(1985~87年活動)も、アイドルでもあり、バラドルでもある存在だったかもしれません。フジテレビの番組「夕やけニャンニャン」のアシスタントとして募集された素人グループでしたが、秋元康プロデュースの「セーラー服を脱がさないで」で一気にブレイクしました。

 モーニング娘。もおニャン子を参考に生まれましたし、秋元自身も、平成のおニャン子とも言うべきAKB48を手がけています。

 当時は、新田恵利(1968年生まれ、フジテレビ社員と結婚)、国生さゆり(1966年生まれ、同級生と結婚後離婚)が人気を二分していましたが、解散後にブレイクしたのは別の2人でした。

 1人は、様々な浮き名を流しながらも、木村拓哉と結婚して2児をもうけ、女性芸能人として1つの「あがり」を見せた工藤静香(1970年生まれ)。

 もう1人は、台湾やスイーツやピラティスブーム、そしてお笑いグループ「ネプチューン」のリーダー名倉潤と結婚し1児をもうけてからは、様々なママビジネスを手がけ、若手から「満里奈さんの位置になりたい」「満里奈さんはずるい」と言われ続けた渡辺満里奈(1970年生まれ)でしょう。

 また、プロデューサーである秋元康と結婚して1児をもうけた高井麻巳子(1966年生まれ、現在は秋元麻巳子としてエッセイなども手がける)、アイドルキラーと呼ばれた作曲家の後藤次利と結婚した河合その子(1965年生まれ)の存在もあり、「バブル期」「業界ブーム」の芸能界の象徴的な存在でもあります。

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