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【25】女性芸能人という生き方~アーティスト編~

中島みゆき、ユーミンから、ドリカム、PUFFYまで

  • 深澤 真紀

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2009年6月19日(金)

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 女性アーティストが台頭しています。

 アーティストは本来は芸術家という意味ですが、日本では「歌手」のことをアーティストと呼ぶことが増えてきました。

 女性アイドルが歌謡曲を歌う時代から、女性アーティストが楽曲(最近ではなぜか、この呼び方がはやっています)を歌う時代になったのです。

70年代:中島みゆきとユーミンの登場

 日本には戦前から歌謡曲文化があり、歌謡曲を歌う人たちは、歌手と呼ばれていました。

 一方で、フォークやニューミュージックというジャンルが生まれ、シンガーソングライターという、自分で作詞や作曲をして歌う人たちが現れ、女性にもその流れが生まれてきたのです。

 1967年1月にリリースされた「この広い野原いっぱい」を歌った森山良子(1948年生まれ、2回結婚し2回離婚、それぞれに1児をもうけ2番目の子供が森山直太朗)、1970年11月1日リリースの「知床旅情」を歌った加藤登紀子(1943年生まれ、獄中婚した夫との間に3児)、1975年11月5日にリリースされた「なごり雪」を歌ったイルカ(1950年生まれ、自分のプロデューサーだった夫との間に1児)などが初期の中心的存在です。

 青い三角定規(1971年結成)の西口久美子(1950年生まれ)や、六文銭(1968年結成)の四角佳子(1952年生まれ。吉田拓郎の最初の妻)、ハイ・ファイ・セット(1974年結成)の山本潤子(1949年生まれ)、ペドロ&カプリシャス(1971年結成)の高橋真梨子(1949年生まれ。1973年から参加)など、フォークグループのボーカルとして人気を博した女性もいました。

 この連載では「紅一点女子」としても触れた、男性グループの中でボーカルやキーボードを務める女性です。

 そして、ニューミュージック界の女性の2大トップとなったのは、中島みゆき(1952年生まれ)とユーミン(1954生まれ、荒井由実からプロデューサーの松任谷正隆との結婚で松任谷由実に)です。

 ユーミンも中島みゆきも、テレビに頻繁に出るタイプではありません(ラジオのレギュラーは持っていましたが)。歌番組にもなかなか出演しませんでしたし、紅白歌合戦にも1回ずつしか出ていません。

 ユーミンの「シャングリラ」、中島みゆきの「夜会」は、それぞれ定評のあるライブです。この2人は今でも多くのファンを持ち、女性アーティストの世界でもトップの存在です。

80年代:プリプリ、薬師丸ひろ子、Wink、ドリカム

 そして80年代になると、女性アーティストが誕生してきます。

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