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日本の挨拶は「距離」が大事?!

日本語を勉強したこともないのに日本勤務が決まった

  • モナハン・ディラン

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2012年7月19日(木)

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 わたくし、ディラン・モナハンは、米空軍に勤務しています。日本に住み、軍のパイロットとして、日本とアメリカの関係がより深くなるように仕事をするうちに、気が付いたら、もうすぐ20年がたちました。

 日本での勤務が命じられたことがきっかけで日本語を独学し始めました。最初は簡単な挨拶だけを覚えるつもりでした。それが、いつの間にか、日本語に夢中になっていました。日本人の魅力なのか? 漢字の魅力なのか? 日本の文化か? 何だろう? とにかく日本にはまりました。

 わたしが、どうやって日本語を身につけたか、をこの連載で紹介していきます。この試行錯誤の経験は、日本人のみなさんが英語をはじめとする外国語を勉強する際にきっと役立つと思います。では、始めましょう。

カリブのきれいな島育ち

 まずは自己紹介から。わたしは1969年、ニューヨーク市で、白人の父と黒人の母から生まれました。その後、母の故郷、カリブ海に浮かぶアメリカ領セントトーマス島で育ちました。山と、きれいなエメラルドグリーンの海に囲まれた、のんびりとした島です。

 15歳になったころ、祖父が住むニューヨークに行くことになりました。セントトーマス島での勉強に物足りなさを感じたからです。ニューヨークにはより良い学校がたくさんあります。大都会での生活はカルチャーショックの連続でした。ニューヨーク郊外の高校を卒業し、その後マサチューセッツ州のウォルセスター・ポリテクニック・インスティチュート大学(WPI)で電気工学を勉強しました。

 WPIを卒業した後、米空軍パイロット学校に入り、見事に卒業。最初の勤務地が、日本の横田基地に決まりました。

パイロットになった!日本勤務が決まった!

 1993年10月14日、日本に到着しました。海外勤務は初めてのこと。成田空港周辺の風景、高速道路、アメリカにはないタイプの車やトラック、何もかもが新鮮でした。

 看板を見ても、わけの分からない文字ばかり。車のナンバープレートも、東京は大都会なのに、数字が4桁しかない。マジックかと思いました――今にして思えば、漢字とひら仮名が目に入っていなかったのです。

 横田基地に着いた時、「ああ、これが日本だ」と思いました。周囲はキリでぼやっとしてて、金木犀の香りがして、静かで。

 ちなみに、基地の中は日本じゃないということにはすぐ気づきました。そこはアメリカでした。なので、「日本」に住むことを希望しました。福生市の新築マンションを賃借して入居しました。

 横田基地での仕事は、「空を飛ぶ救急車」の異名を持つ「C-9ナイチンゲール」という飛行機のパイロットでした。太平洋地域において、患者を運ぶのが主な任務です。

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