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「大和」級戦艦を設計した戦前日本の底力

海軍が育てた異能の設計者・平賀譲(その1)

  • 宮田 秀明

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2006年4月3日(月)

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 平賀譲は海軍技術中将を経て東京帝国大学総長になり、現職のまま1943(昭和18)年に亡くなった。特異な経歴を持つ異能の技術者である。

 優れた技術的な成果物は、優れた基礎研究の上に成り立つ。こう思われがちだが、20世紀前半の研究開発においては、必ずしもそうではなかった。「基礎研究」から「開発」「試作」「マーケティング」という一連のプロセスで技術開発が進み、製品ができるという、いわゆるリニアモデルの考え方から道筋を踏み外した技術開発が多勢を占めていた。

 典型的な例は飛行機である。要素技術としての翼の研究、すなわち「なぜ飛行機は飛ぶのか」という理論的な飛行のメカニズムの研究がピークを迎えたのは、ライト兄弟の初飛行から20年以上もたってからであった。

海外の技術を貪欲に吸収

 平賀が帝国海軍の艦政本部で軍艦の総合設計に携わった大正から昭和にかけての日本は、基礎研究よりもむしろ要素技術をうまく組み合わせてまとめ上げ、優れた完成品を作ること、いわば技術開発の総合化の力が問われた時代だった。そこで希有な才能を発揮した代表的な人物が平賀だ。

 現在、ほとんどの大型船では、艦首の水面下が前方に突起した形状をしている。この部分を船首バルブという。このような形状にすると船の作る波が小さくなってスピードも速くなる。その理論的な研究成果を出したのはドイツだった。

 船首バルブの応用競争が各国で激しくなった頃、平賀は本家のドイツのブローム・ウント・フォス造船所を訪問し、建造されたばかりの大型高速客船「ブレーメン」と「オイローパ」 の船首バルブについて質問している。ブレーメンには船首バルブをつけず、もう一方のオイローパにはつけたが、スピード試験の結果に差異はなかったとのことだった。ちょうどこの頃、海軍技術研究所は「大和級」の戦艦で使う船首バルブの設計のための実験を繰り返していた。

 平賀は艦船の開発プロジェクトで全体を見る立場であるにもかかわらず、欧米の要素技術を飽くなき探究心で吸収した。船首バルブだけでなく、視察旅行などで様々な手段を尽くして造船に関する先端技術情報を入手しようとした。

 そこからも分かるように、当時の日本の基礎技術力は低かった。この時代、日本の基礎技術が世界をリードしていることはほとんど皆無だったのである。艦船の世界でも、航空機の世界でも同じで、英国やドイツ、あるいは米国の基礎研究成果を必死に消化しようとした痕跡が至る所に見られる。学会における論文の少なさや質の低さからも、当時の日本の基礎技術のレベルが低かったことが理解できる。

 だから貪欲なまでに海外から要素技術を輸入し、「大和」級の戦艦設計やゼロ戦などに注入しようとしたのである。すなわち国家間の技術開発競争に要素技術の基礎研究ではなく、総合化の力で挑戦した時代であった。日本が基礎技術で世界と競争できるようになったのは戦後になってからだ。

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