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“らしさ”を捨てる勇気、ありますか

ジェラシーの文化から抜け出すために

  • 宮田 秀明

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2006年10月20日(金)

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 大学に勤務して間もない頃だったから、もう30年近く前のことである。卒業して社会に出る大学院生たちを激励するパーティーがあった。当時、私の年齢は博士課程の卒業生とほとんど同じ。そんな新米でも、教員としてのスピーチが回ってきたので、こう話した。

 「皆さん、“らしく”ならないようにして下さい。企業の中で企業人らしい人は、あまりいい仕事をしていません。役人になったら役人らしくならないようにしましょう。役人らしい人で立派な仕事をした人はいないと思います」

自由闊達な社風の中で

 かつて勤めていた石川島播磨重工業(IHI)には当時、それなりに自由闊達な雰囲気があった。世間では「野武士集団」の企業と言われていて、社長から新入社員まで肩書きで呼ぶことはなかった。基本は“さん”付けである。前にこのコラムで紹介したIHIの真藤恒・元社長も“真藤さん”と呼ばれていた。5年間の社員生活で肩書きで会話した経験はたったの1度きりである。

 こうした社風だから新人でも上司に意見できる雰囲気が当時のIHIにはあった。

 新入社員で生意気盛りの私は液化天然ガス(LNG)船の設計検討で、課長の森本さんに指示された仕事が無意味なことに思えた。ある技術的な仕様を検討すること自体、誤差があまりに大きいため、とてもではないが設計には使えないと考えたからだ。そのことを夕方から夜の8時まで3時間ほど激しく議論した後、結局こう言われた。

 「課長命令だ。とにかくやってみて」

 森本さんの名誉のために言えば、彼は無理な仕事を部下に押しつけるような人物ではない。仕事のできる、人望の厚い人。ほんの2年余りだったが、本当にかわいがってもらった。飲み過ぎて終電を逃し、ご自宅に泊めていただいたこともある。あの時にかみついたのは今となっては若気の至りだったと言うしかない。

保護色に包まれたスタイル

 こうした経験をして転職した東京大学は堅苦しいことこの上なかった。本郷以外のキャンパスではそうでもないのだが、教員のほとんどは紺かグレーのスーツに白のワイシャツを着て、通勤の時は重そうな黒のカバンを提げている。

 大学で最も大切なのは教育と研究である。このために何よりも重要なのは独創性、創造性だ。保護色に包まれるようなライフスタイルでも創造は生まれなくはないが、もっと自由に心を解き放たなければならない。新米教員ながら、当時からそう感じていた。そこで「らしくあってはいけない」とスピーチで話し、卒業生と大学院生たちにエールを贈ったのだ。君たちの個性を生かしたライフスタイルで創造的な仕事をしてほしいと。

 この頃、大学に移って学生たちと一緒に研究していたテーマが成果を出しつつあった。自由表面衝撃波という新しい波の発見と、その波をコンピューターでシミュレーションする技術である。これは、私の研究者人生の中で最も大きく社会に貢献した研究だと自負している。世界中の船で今、この波の発見とシミュレーション技術の影響を受けていない船はごくわずかだ。

 だが、この成果は国内の学会では惨々の評価を受けていた。

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