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トヨタを世界一に導いた自工と自販の存在

  • 池原 照雄

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2007年9月18日(火)

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 連結生産台数世界一が確実となってきたトヨタ自動車は今年、70、50、25と「周年」の当たり年でもある。70周年は会社設立、50周年は米国販売開始(米国トヨタ自動車販売設立)、そして25周年は1982年7月の旧自工・自販の合併だ。

 このうち、25周年については特段のセレモニーが行われたわけでもないし、大多数の社員も気づいていないようだ。トヨタ70年の歴史の中でトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)が存在したからこそ、世界一への道が開けたと見る筆者にはちょっぴり残念な気もする。

飲まざるを得ない選択だった工販分離

 自販が自工から分離したのは1950年。いわゆるドッジラインによる緊縮財政や金融引き締めにより、日本の産業界は瀕死の状態に陥っていた。49年暮れに当時の豊田喜一郎社長は、日銀名古屋支店に2億円の融資を要請、下請企業への波及を重く見た日銀は金融機関をとりまとめ、直ちに融資を実行した。

 倒産は免れたものの、融資にはいくつもの条件が付いた。経営陣の責任明確化や人員整理、さらに販売部門の独立といった内容だ。50年に喜一郎社長は退任、労使紛争が続く中で1700人規模の解雇も実施された。

 自工・自販の分離は、経営戦略でも何でもなく倒産を回避するため、飲まざるを得ない選択だった。当時、最大のライバルだった日産自動車も同規模の人員解雇を実施するという酷似した境遇にあったが、比較的メーンバンクとのつながりが強く、販売部門の分離には至らなかった。

 しかし、ここで両社の明暗が大きく分かれることになった。これを機に、トヨタは自工と自販がそれぞれの持ち場に集中し始める。売り手の自販は、全国の有力地場資本や経営者を発掘し、国内最強のディーラー網を作り上げる。作り手の自工は「三河モンロー」と揶揄されながらも、都会からの雑音を逃れた三河の地で実直なモノづくりに邁進していった。

 販売網の構築で後手を取った日産は、本体が人も資本も出す直営ディーラー依存を高めるしかなく、両社の販売力の差は徐々に開くことになる。トヨタ自販はマーケティング力にも磨きをかけ、売れる商品を自工に進言、それを自工がコスト面などで競争力ある商品に仕上げるという好循環ができた。

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