―― 広告のクリエイターにとって主戦場といえば、まだテレビ、雑誌という雰囲気は強いものがあります。その中で、阿部さんはインタラクティブ第一世代。今日は、クリエイターにとってウェブという仕組みは、どんな表現を生み出せるものなのか、というテーマをうかがいたいと思います。
阿部 確かにテレビや雑誌がやっぱり好き、というクリエイターはたくさんいて、なかなかウェブに入ってこないという状況はあります。ウェブというと、なんとなくテクノロジーを知らないとダメなんじゃないか、それが難しいんじゃないか、と考えてしまう障壁があるかと思いますね。
―― テレビという分かりやすいメディアがあり、しかも効き目も大きいといわれているのだから、わざわざ難しそうなウェブには手を出したくない、というような意識ですね。それは理解できる気がします。
ウェブのテクノロジーは、本当はたいしたことはないんですけどね。あまり難しく考えないで、仕組みをすんなり飲み込める人が入ってきていますね。
体育会系の雰囲気に引かれ電通に
―― 阿部さんとウェブとの出会いは?

阿部晶人(あべ・あきひと)
オグルヴィ・ワン・ジャパン株式会社インタラクティブ・クリエイティブ・ディレクター。
1974年生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒業後、電通に入社。クリエイティブ局、インタラクティブ・コミュニケーション局を経て2006年8月にオグルヴィへ転職。主な仕事にトヨタ「ゼロクラウン」「passo」「ときめきドライビングスクール」、モトローラ「MOTORAZR」、アデランス「ヘアシーダ直電LIVEディランに訊け!」など。カンヌ国際広告賞サイバー部門銅賞、クリオ広告賞インタラクティブ部門銅賞、東京インタラクティブアドアワード金賞など受賞多数。 (写真:大槻 純一、以下同)
大学が慶応のSFC(湘南藤沢キャンパス)でしたので、1994年ごろから毎日インターネットをやっていました。つまり今のウェブですね。そのころはインターネットもまだ、ここまで社会に広がっていませんでした。直後から爆発的に普及していくのですが。
―― どうして広告界へ?
もともと“表現”に興味があって、大学ではメディアアートを専攻していたんです。就職するなら表現に関わる職種がいいと思っていて、会社として電通がいちばん面白そうだったからです。
―― 阿部さんは1998年に電通に入社されていますが、最初からウェブ関連の部署だったんですか。
いえ、ウェブはまだ黎明期というか。電通が面白そうだと思ったのは、ウェブ系のイメージとは正反対の体育会系だったからです。僕自身、ずっと剣道をやっていましたので、体育会系の雰囲気も違和感がないんです。また、当時はここまでウェブが世の中に浸透するとは思ってもみませんでしたし。
―― 最初からウェブの精鋭として、というのではなかったのですね。
初めにクリエイティブ局に配属されて、いわゆる“従来型”の広告を4、5年作っていました。栄養ドリンク剤のラジオ広告とか、水虫薬の新聞広告のキャッチコピーとか。そんなある時、コンピュータ関連の広告が来まして、「お前、コンピュータに詳しいんだろ」というようなことから、ぐっとそっちに行くようになって。社内インターン制度で、インタラクティブ・コミュニケーション(IC)局のインターネット広告の仕事を兼務する募集があった時、迷わず手を上げました。
―― そこではどんな仕事を?
トヨタ自動車のウェブサイトを作ったのですが、その時の手ごたえは忘れられませんでしたね。
ウェブ広告へのクリアな反応に驚く
―― どんな手ごたえだったんですか?
“従来型”の広告だって「世の中に出た!」という手ごたえは、もちろんありますが、商品が売れたら商品がいいから、売れなかったら広告が悪いから、という感じで、もう少し受け手の反応がはっきりするメディアが欲しいと思っていたんです。トヨタの広告をサイトで打ち出した時は、アクセスした人がカタログを請求し、試乗のアポを取り、実際に買うまでが、手にとるように分かりました。顧客の反応がものすごくクリアなことが、自分にとっては、非常に新鮮でしたね。
―― 最初からいきなり、理想的なクライアントに当たったのではないですか。
その通りです。トヨタはとても理解のあるクライアントでした。また、価格が高い商品は、ウェブの力が出しやすいんです。実際、自動車という商品は、当時すでに購入者の6割以上が検討段階でネットを見ているということもいわれていました。
―― 逆にネットが訴求力を持たない商品とは何なのでしょう。
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