2007年11月に静岡県で第39回技能五輪国際大会(隔年開催)が開催された。日本は16種目で金メダルを獲得し、2位の韓国11種目、3位のフランス5種目を大きく引き離した。日本は前回の2005年ヘルシンキ大会に引き続き、金メダル獲得数ではトップであった。
ただし前回のヘルシンキ大会では、スイス、南チロル・イタリアと同数のトップだった。今回はホームでの戦いということもあるが、2位3位を大きく引き離してブッチギリの勝利だ。日本の技術力を素直に喜びたい。
コックまでついてきた「出場選手ご一行様」
日本は1970年代初頭までは技能オリンピックで圧倒的な強さを発揮し、金メダル獲得数の常勝トップであった。だがその後は韓国などに押され、不振を続けた。「日本の技術ももうダメか」と、発展途上国に対し技術的優位性を失っている象徴のように言われた。
実は、技能オリンピックの入賞が少なくなったのには、技術の問題以外に、いくつかの要因がある。まず、出場できるのは22歳までという制限がある。この年齢制限の中で好成績を収めようと思えば、中学卒業くらいの年齢の時に才能のありそうな若者をピックアップし、技能オリンピック向けの特別な訓練を始めなければならない。これは、高校進学率が96%の日本ではかなり難しい。高校卒業生になってしまうと「指先の器用さ」のような点で、どうしても不利になる。高校を卒業してからピアノを習い始めてもあまりうまくいかないのと同じである。
しかも技能オリンピックで試される技術はちょっと特殊な技術で、特別な指導員がつきっきりで指導する。
私の知り合いの技能オリンピックの選手は中卒で某大企業に入社した途端から、特別の部署(生産とは関係がない…)でもっぱら技能オリンピック向けの訓練を受けたという。大きな大会になれば、年齢は若いが移動はグリーン車。おまけに指導員2人とマッサージ師、荷物運び(指を怪我したら困るから)等々を引き連れた大名旅行となる。国際大会ともなれば、お供グループはさらに大きくなり、コックさんまでついてきたと言っていた。
そこまで徹底する企業も珍しいとは思うが、それにしても技能オリンピック選手の訓練には大変な金額の費用が必要だ。現場の生産活動には少なくとも数カ月は携わらないわけで、派遣企業にとっては大きな負担だ(11月に放映されたNHKのドキュメンタリー番組でも、技能オリンピックの選手が「僕は入社以来、生産現場に一度も出ていませんから…」と言っていた)。
ものづくりは何を作るかが重要である。日本で1個数円のものをうまく作れても意味が無い。スイスの機械式腕時計のように1個何十万何百万円で売れる付加価値の高いものを作らねばならない。その意味で伸ばすべき製品群とこれにあわせてどういうものづくり技術・職人技術を残していくかを見ていくべきだろう。(2007/12/12)