• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

私を活性化させた10年前の決断

工学部改革を推進し、システム創成学科を設立

  • 宮田 秀明

バックナンバー

2008年6月27日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 今からちょうど10年前のこと。1998年6月の最後の土曜日の朝、丹沢のふもとにある旅館の周りの田舎道をY先生と散歩していた。

 「やりましょうか」と私が言うと、「やらなくてはいけませんね」とY先生がうなずく。私の大学改革プロジェクトの始まりだった。

 この年の3月、工学部長に選任されたN先生から電話がかかってきた。工学部の企画委員会のメンバーになってほしいという内容だった。この年の4月には専攻の長という管理職に就かなければならなかったし、アメリカズカップ・プロジェクトでは開発と設計の山場にいた。丁寧にお断りしたのだが、許してくれなかった。

 そうして1998年は、専攻長任務をこなしながら研究室を運営し、アメリカズカップ・プロジェクトのテクニカルディレクターを務め、さらに工学部改革を主導することになってしまった。私の一生の中で一番仕事の密度が高かった年だった。

1人ひとりを説得するのではなく「流れ」をつくる

 東京大学工学部は時代とともに専攻(学科)を増やし、その数は21にも達していた。結果として、学問領域を細分化してしまったのだ。高度成長時代の要請に応えてきた面もあるのだが、この細分化された工学部の組織は21世紀にふさわしいものとは思えなかった。工学部教育の新しいベクトルを作るタイミングが来たように思った。

 ターゲットは私が長を務める環境海洋工学専攻を含めた4つの専攻だった。いずれも学生の人気が低く、毎年のように定員割れしていた。企業で言えば、10年間赤字をタレ流している4つの事業部と例えられるだろう。

 6月最後の金曜の夜の長い議論の末、私が工学部の、4専攻の大改造の任務を引き受けざるを得なくなっていた。それから5カ月、4つの専攻の教員を説得したり、文部科学省に説明しに行ったりする日が続いた。私より年上の教授たちはだいたい旧守派だ。彼らを一人ひとり説得していては改革プロジェクトの成功はおぼつかない。そんなことをしているうちに10年の時間が過ぎるかもしれない。

 だから私は2つの戦略を使った。1つは年長の教授たちには文部科学省や工学部長の意向も利用して、改革が止めることのできない流れであることを認めさせること。早い段階で監督官庁である文部科学省の同意を得ておいたから、これは大きな力になった。

コメント3

「宮田秀明の「経営の設計学」」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

機械を売るんじゃなくて、電気が欲しい方に電気が起きる装置をソフトも含めて売るビジネスをしていこうと。

田中 孝雄 三井造船社長