「宮田秀明の「経営の設計学」」

教わることの限界

変化という試練を与え、実践できる環境で自分を鍛えよ

バックナンバー

2008年7月11日(金)

1/3ページ

印刷ページ

 ヨット関係の仕事を始めた頃、大学の仲間と共同でヨットを買った。ヤマハ発動機の方の紹介で中古の安いクルーザーだ。茨城県の大洗マリーナを定係港として3年ぐらい保有した。船舶海洋工学科の教員と学生たちのレジャーの場でもあった。船舶海洋工学科の学生だから海に親しんでほしかった。私は最大の出資者だったが、ヤマハY23というそのクルーザーに乗ったのは2回だけだった。ヨットの仕事の方が忙しくて遊びに行けなくなった。

 1995年からアメリカズカップ艇の開発を行っていた時、放課後の夜だったが開発に携わっていた学生たちとゴルフの打ちっぱなしに行った。「余裕を持って楽しめなければ、こんな大きな仕事で成果は望めない。みんな余裕を作って遊びもやろう。そしてオークランドでは、長丁場だから、レースのない休日はゴルフを楽しもう。10ドル20ドルでコースに出られるのだから」と話し合った。しかしそれは、カラ元気のようなものだった。打ちっぱなしに2〜3回行って、後が続かなかった。

 しばらくすると、技術開発の内容が増えて密度も高くなり、遊びに行く暇はなくなった。それどころか技術チームの中には、長い間彼女と会えなくて破局を迎えそうになり、私にこう泣きついてくるスタッフまで現れるありさまだった。「きついです。最近モチベーションがありません」。

 レースが始まってからは、長丁場のレースなので、レースの間にオフの日も多いのだが、ニュージーランドでゴルフなどの遊びをすることを考える余裕は全くなかった。1999年の9月から翌年の1月までにオークランドで私が訪れたのは、レース海面とベースキャンプとホテルとレストランだけだった。時間の余裕も気持ちの余裕も全くなかった。むしろゴルフや釣りや温泉を楽しんでいたのはクルーたちだった。

 こうして私は趣味の中からヨットとゴルフを失ってしまった。

絵には自信があったが、中学の教師の評価は散々だった

 絵を描くのは好きだった。だから定年になったら始めようと思っていた。ところが2000年の秋、アメリカズカップのプロジェクトが終わり、継続するためにスポンサーを探す一種の営業活動も不発に終わって、完全にヨットの仕事がなくなった頃、水彩画を始めた。退職してからと思っていたのだが、随分早まった。

 それまで大学の仕事とプロジェクトの両方を並行して行っていたので、時間の密度は半端ではなかった。だから終わった後では時間のスキ間ができたのだ。でも時間のかからなくて準備と後始末の簡単な水彩画にした。そうして水彩画を描くことが趣味になった。

ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



関連記事

Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)

Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
この記事を…
内容は…
コメント2 件(コメントを読む)
トラックバック
著者プロフィール

宮田 秀明 (みやた ひであき)

宮田 秀明

1948年生まれ。1972年東京大学大学院工学系研究科船舶工学専門課程修士修了。同年石川島播磨重工業(現IHI)に入社、77年に東京大学に移り、94年より同大教授。専門は船舶工学、計算流体力学、システムデザイン、技術マネジメント、経営システム工学。世界最高峰のヨットレース「アメリカズ・カップ」の日本チーム「ニッポンチャレンジ」でテクニカルディレクターを務めた。著書に『アメリカズ・カップ―レーシングヨットの先端技術―』(岩波科学ライブラリー)、『プロジェクトマネジメントで克つ!』『理系の経営学』(日経BP社)など



このコラムについて

宮田秀明の「経営の設計学」

経営には「論理」が必要である。論理を積み重ねた理系思考がイノベーションを育む。技術力を最大限に生かし、プロジェクトをまとめ上げ、新しいビジネスを創造する。「理系の経営学」を提唱する東京大学の宮田秀明教授が理系の視点による経営の要諦を語る。

⇒ 記事一覧

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事

  • いま、歩き出す未来への道 復興ニッポン

日経ビジネスからのご案内