31年前、東京大学に転職してきた時、本郷キャンパスの多くの先生が紺かグレーの背広を着て、重そうなカバンを持って歩いている姿を見て違和感を覚えた。創造の場だから、もっと明るく自由な雰囲気が必要なはずだと思った。東大の中でも本郷キャンパスが特にこの傾向が強かった。
サラリーマン時代の渋いワインレッドやブルーのワイシャツに、明るいグレーの背広で出勤すると、年長の教員から冷たい目で見られた。研究能力のない教員ほど保護色に自らを包み、重そうなカバンを持って歩いている。
私はアマノジャクだった。自由な服装をして、カバンを持たないで、紙の束か、今ではUSBメモリーをポケットに入れて、脳の働きを自由にして創造の力を最大限発揮しようとすることにしていた。以来ずっと、その自由闊達にして想像力を高めるライフスタイルを実行し、若い教員たちにも広めようとしてきた。それから30年経って少しは良くなったようだ。
大学の人材劣化をどう克服するか
しかし一方では、大学の教員の行う研究に期待する声は年々低くなっているようだ。
「大学の先生にはできないでしょう」と面と向かって言われることもある。残念ながらその通りと言わざるを得ないことも多い。大学の人材は年々劣化していると思う。大学の劣化は教育の劣化、国全体の人材の劣化につながるから憂慮すべきことだ。根本的な解決策を考えなければならない。人材の流動化の促進が一番の有効策だということは衆目の一致した意見だろう。
15年くらい前、私が教授に昇任して、学科の人事委員会のメンバーになった時、最初に提案したのが、教員の“純粋培養”の禁止を明文化することだった。純粋培養とは大学院を卒業して、そのまま教員になること、つまり一度も実社会に出ない教員養成法のことである。昔はこれが普通だったし、今でも、そのようなキャリアの教員が多い。しかもこのような純粋培養の教員が主流派になっている。東大総長になった方で民間経験者はいない。
大胆かと思った私の提案は割と簡単に認められ、東大以外の職場経験を持っていない教員は採用しないことになった。しかし、実際には、国の研究所や企業の基礎研究所経験者が多く、本当の意味での民間経験者、つまり一般経済社会で責任とリスクを取った経験のある人のケースは稀である。だから失敗人事も多い。
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