今日はクリスマスイブです。インターネットでは「クリスマス中止」の動画が話題になっていて、さまざまな「映像作品」が、ニコニコ動画やYouTubeにあがっています。たとえば、ニコニコ動画からYouTubeに「転載」された、ある映画のワンシーンにオリジナルの字幕をつけたこの作品。著作権を無視しているので既に削除されてしまっている可能性もありますが、非常にうまい具合に出来あがっていて、思わず笑ってしまいました。
「そもそもクリスマスってのは、キリストの誕生祭だ。なのにいつから恋人と過ごす日になったんだ」という叫び(正確には出鱈目な字幕)こそ、ネット上にあふれる「クリスマス中止」の動画を広めるモチベーションになっていることは間違いのないところでしょう。
この「作品」の中に登場する「リア充」という言葉、実は2007年のネット流行語なのだそうですが、ぼくはわりと最近になってようやく、その意味を知りました。恋愛や、友人や、学生生活や、仕事など「リアルな空間での活動が充実している人たち」のことを指す言葉で、「比べて自分はリアルが充実していない」と感じる人たちが彼らを揶揄して、例えば「リア充、死ね」といった用法で使っているのです。
まあ、単なる「言葉遊び」ではあります。そこにドン・キホーテのように戦いを挑むつもりはありません。ですが、「リア充」と「非リア充」の対立構造は、ネット空間の中で無視することのできない「感情」を指し示しているように思えるのです。
先週の原稿に書いた、ある種の空気を読まないと罵倒される「息苦しさ」の背景のひとつになっている、とでも言いましょうか。
そんなわけで、クリスマスイブにお届けする今回の記事では「リア充」について考えてみたいと思います。
そもそも、なんで対立構造なの?
まず、最初に思ったのが「リア充」と「非リア充」の対立構造って、変じゃない? という疑問です。電脳空間だけに己の存在がある、と主張する方々の、ひたすらキーボードをうつ指先にも、骨があり、肉があり、血が流れ、まぎれもなく「リアルが充実」しています。「リアルがゼロ」なんて人間は、人類史上、少なくとも今のところ、誰ひとりとして存在していません。
同時に、「リアルが完全に充実している人」も、存在しないと思います。
たとえ恋人がいたとしても、時には喧嘩をしたり、裏切られたり、別れたり。学校生活でも、仕事でも、「充実して楽しいが100%」なんて人がいるでしょうか。そんな人に、ぼくは出会ったことがありません。みんな、それぞれに、悩みや、心の傷や、怖れや、さまざまなマイナスの感情を抱えながら暮らしています。そんな、ごく普通の人たちの営みを「リア充」と決めつけてしまう行為には、ある種の傲慢さすら感じてしまいます。
もとから、二派の間の分水嶺など存在しないのです。誰もがリアルであり、誰もそのリアルが充実しきってなどいません。
嵐の中、みな同じ船に乗っている
自動車メーカーが軒並み雇用調整を実施し、ソニーも国内外で1万6000人を削減すると発表するなど、世界の経済環境は改善の見込みが感じられないまま、クリスマス、そして新年を迎えようとしています。
広告業界も例外ではありません。世界最大の広告グループであるオムニコムが、3500人の人員削減を予定しているとAdAge誌が伝えています。急成長を続けてきたインターネット広告も、不景気のあおりを受けて成長が鈍化するという見方が広がっています。
嵐のような経済環境に、誰もが皆、直面していて、底が見えない中、一様に戸惑っています。
もともとは、米国ウォールストリートの「金融工学」なるものがつくりだしたバブルの破綻が引き金となって始まった今回の世界同時不景気。いつしか、その原因が何だったかもわからないくらいに、あらゆる業種が景気悪化の影響を受けています。
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