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先手必勝のセオリーを軽視して日豪競争に敗北

リスクを乗り越えて先駆ける意味の大きさ

  • 宮田 秀明

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2009年6月12日(金)

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 初めての沖縄訪問で最初に視線を奪われたのは米軍の輸送艦だった。那覇空港から市中へ向かうタクシーの中からその姿は見えた。米国海軍は10年近くオーストラリア製の高速輸送船をチャーターして運用しているが、そのうちの1隻が沖縄に来ていたのだ。

 1980年代の終わり頃、アルミニウム製の大型双胴高速船の開発競争で北欧とオーストラリアと日本は火花を散らしていた。2つの胴体を連結する双胴型の船は新しい技術ではない。しかし、それを大型化して何千トンもの大きさにする開発は初めてのことだった。1990年代初めになると、その大型化に向けての研究開発でオーストラリアと日本は競っていた。

 1991年にシドニーで開催された国際高速船会議では激しい技術の論戦があった。日本のプロジェクトの中心にいたのは私で、ある造船企業と共同開発プロジェクトを進めていた。この頃には長さが200メートル、速度が毎時75キロメートルの大型双胴高速船の開発が山場を迎えていた。

「日本チームの方が開発能力が上だと思っていた」

 ターゲットとする航路も決めていた。博多と上海間の航路を所要12時間で結ぶようにするのだ。日本と上海の間の観光客やビジネスマンの需要は多い。もちろん今は飛行機で行くのだが、半日は移動に取られてしまう。私たちの計画する高速船は夜8時に博多を出港し、翌朝8時に上海に到着する。ゆっくり食事したり休養したりして旅を楽しみ、ベッドでゆっくり寝ていれば朝には上海に着くのだ。

 このような新型の高速船の技術開発を行う能力は、圧倒的に私たちのプロジェクトチームの方が上だと思っていた。何しろ、オーストラリアではニューサウスウェールズ大学の船舶工学科で学ぶ学生の数は5人程度だ。人的資源にも大きな差があった。

 それから10年間にわたり、大型高速船の国際的な技術開発競争が繰り広げられた。それは新しい商品モデルによって新しい産業を生み出す活動でもあった。商品モデルの創造という難しいプロジェクトでもあり、市場規模は1500億円ほどと見積もられていた。

 しかし、この技術開発と商品普及の日豪競争は、結果的に私たち日本の完敗に終わった。私たちはようやく1隻を受注し、長さ70メートルの「オーシャン・アロー」を熊本~島原間に就航させ、それまでに1時間かかった航路をちょうど半分の30分にした。しかし、それだけだった。
 
 それから受注のない時間が10年以上も経過し、現在の日本の造船界でこのような新しい船のシステムを開発できる人材はほとんどいなくなってしまった。一方のオーストラリア企業は現在、この高速船ビジネスの中心にいる。米国海軍にまで技術供与できるほどまでに成長したのだ。

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