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プロジェクトを成功へと導くもの

10年前のアメリカズカップ善戦を振り返る

  • 宮田 秀明

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2009年10月16日(金)

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 ちょうど10年前の10月18日、ニュージーランドのオークランドで第30回アメリカズカップの試合が始まった。月日の経つのは早いものだ。確か3回目のオークランド出張から帰ってきた土曜日、そのままソファーで寝ていたら様子がおかしい。私の留守の間に、生後2カ月のミニチュアダックスフントが家族に加わっていたのだ。その愛犬「ウィル」はこの9月に10歳になった。

 10年も経つと、もう夢のようだ。あの7年間は夢の中にいたのだろうか。なぜヨットは素人の私が、アメリカズカップのプロジェクトの技術チームの中心になり、ほぼ世界最速のヨットを作り上げることが出来たのだろうか、と自分でも不思議なくらいだ。今もう一度やれと言われても同じ成果を出せるかどうか疑わしい。

 最初に話があったのは1993年の5月のことだった。第29回のアメリカズカップに参戦するニッポンチャレンジの技術開発は決定的に遅れていた。そして急遽、私を巻き込むことにしたのだった。私は船舶設計の経験では世界中の誰にも負けない自信があったが、ヨットだけは例外だった。全くの素人と言ってもいい。おまけに第1艇「JX1」は6カ月後に起工することになっていた。

 だから私は、テクニカルディレクターでもチーフデザイナーでもなく、技術開発を支援するチームのコーディネーターという役割だった。そういう事情なので、実際私が設計に大きな影響を与えたとしたら、船体の水面下の部分と船底のキールバルブに対してだけだったかもしれない。

世界のほぼ頂点を極めることができた理由

 しかし、世間の見方は違っていた。東京大学教授という肩書はいつもすべてが誇張される。「最高の頭脳を投入したのだから、きっと成果が出るはずだ」と過大な期待を抱かれてしまうのだ。いつもプレッシャーがきつい。

 1995年1月に始まったレースの緒戦は強豪と戦ってわずか12秒差で負けるようないい試合もあったのだが、準決勝では3分、4分の差で大敗してしまった。セーリングコーチのピーター・ギルモアが技術陣の技術的な決定を覆して、まるで暴走するように艇を変えていった結果だった。

 1995年3月の準決勝での敗戦が決まった時、私たちは虚脱状態だった。「おれたちベトナム帰還兵みたいだな」。技術チームの仲間が言った言葉だった。

 翌月、私は研究室で30年も使っている暗い鼠色のデスクを廃棄して、オフホワイトの明るいものに替えた。気分を一新したかったのだ。

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