「Last Chance ――航空機産業の活路」

航空自衛隊OBが支える国産機開発

「絶対に起こしてはならなかった」F2墜落事故を胸に

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2010年1月29日(金)

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 日本の航空機業界大手は防衛省の戦闘機や輸送機などを開発してきた。圧倒的な技術力や実戦経験を持つ米国と違い、日本の業界大手は高性能の機体を開発することは至難の技だった。

 その開発の現場で汗を流してきたのが航空自衛隊や海上自衛隊のパイロットOBたちだ。日本の国防技術力を支えてきたOBたちの知られざる活躍を追った。

 防衛省と日本の航空機業界にとって長年の悲願は国産戦闘機の開発だった。それは1980年代に自主開発の可能性があったが、米国の圧力に屈し、結局は共同開発に持ち込まれた。

 ただ、共同開発と言っても、米国側は技術を出し惜しみし、日本が持っていた複合材やレーダーなど先端技術は取られてしまった。米国の非協力的な姿勢ゆえ、日本は難しい機体の制御技術などに挑むことになった。

日米共同開発機「F2」の申し子、渡邉吉之氏

 そこで大活躍したのが航空自衛隊のエースパイロットだった渡邉吉之氏である。彼は1990年にF2の開発のために三菱重工業に移籍し、現在は同社の戦闘機の生産拠点である小牧南工場の工場長という要職を務めている。

F2の開発で活躍した航空自衛隊OBである渡邉吉之・三菱重工小牧南工場長(右)(撮影:高木茂樹)
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 渡邉氏は言う。

 「戦闘機の開発で最も難しいのは、設計する技術者が実際に乗れないということだ。そこが自動車の開発とは違う。犬を飼っていないのに、ドッグフードを作っているようなものだ。だから、パイロットの役割が大きい。パイロットが開発者にきちんと状況を伝えなければ、高性能の戦闘機は作れない」

 渡邉は1995年のF2の初フライトを任されるという栄誉を得た。その後は試作機を毎日のように操縦し、設計の改善をアドバイスしてきた。

人間の限界に達する戦闘機の試験フライト

 戦闘機のフライト試験は通常、1時間半だ。それで愛知県小牧市から、石川県の小松沖まで飛ぶ。実際のミッションは20分ぐらい。超音速飛行テストのほか、実際に荷重を人間が耐えられる限界である9Gまで掛けるのだという。

 「9Gでは毛細血管が切れ、意識を失う直前になる」。そこまでやらなければ、機体の振動の異変や計器類の適正な作動を確かめられないからだ。

 F2の開発でも、渡邉が技術者たちに口を酸っぱくして言ったのは「地上と上空では世界が全く違う」ということだ。

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Last Chance ――航空機産業の活路

日本はこれまで何度も世界の航空機市場に挑みながら、挫折と屈辱を味わってきた。中国など新興国が台頭し、世界競争が一段と激化していく中で、二度と失敗は許されない。「最後のチャンス」に賭ける、日本の航空機産業の戦いを報告する。

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