「宮田秀明の「経営の設計学」」

人は、自ら目標を定めて努力して育つ

社長になる卒業生Y君を成長させたのは“環境”

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2010年2月5日(金)

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 「へーイ、タクシー」「歌舞伎町、花園神社の近く」。32年前に東大の正門前でこう叫んでいたのは、当時4年生だったY君だ。本郷から新宿へ向かったのは、もちろん飲みに行くためだった。事もあろうに、私がサラリーマン時代の友達とたまに飲みに行っていたスナックの建物の2階に、Y君たちの行きつけのスナックがあった。

 32年間の長い教員生活で学生たちと飲むことは多かったが、一番盛んだったのが大学へ転職した最初の年だった。その年の4年生と飲むことが多かったのだ。「ヘーイ、タクシー」と言った最もワイルドなY君は、今度、大手上場企業の社長になる。

 29歳で転職した先の東大船舶工学科の研究室は、船舶工学科の名門研究室だった。私を招いた教授は、その後、文化功労者になったし、そのまた前の代の先生は文化勲章をもらっていた。しかし、私が転職した時、その研究室は荒れていた。教員と学生との信頼関係が崩れていて、研究室の雰囲気も暗く、研究成果も今一つと言った状態だった。だから専門分野も違う民間人の私が呼ばれたのかもしれなかった。

明るく元気な研究室にしたい

 最初の年、卒業論文のために6人の学生が私たちの研究室にやって来た。6人のうち1人を除く5人は、船舶工学科で成績が最も悪い5人だった。新宿にタクシーで飲みに行ったりしていたことからも分かるように、結構不良学生だったかもしれない。
 
 着任早々だったが、6人のうち4人の卒業論文は私が指導することになった。私の大学教員生活はこの4人のワイルドな学生と付き合うことから始まった。

 大学には色々な名目でコンパと言う飲み会がある。ところがこの研究室では教授があまりに偉いので、盛り上がらない。いつも20時半までは教授の話を静かにお聞きする会だった。料理も決まりきって寿司とビールだった。20時半に教授が帰ると少し元気が出るのだが、それでも雰囲気は今一つといったところだった。

 私は研究室を明るく元気な形にしたいと思った。そして次のコンパが迫った頃、Y君に言った。

 「コンパを盛り上げるように何か企画しよう」
 「カラオケを持ち込んでもいいですか?」と彼は言い出した。

 6人の卒論生のうちの3人とは歌舞伎町でたくさん親交を深めていたので、6、7歳しか年の違わない私とは信頼関係が深まっていた。

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著者プロフィール

宮田 秀明 (みやた ひであき)

宮田 秀明

1948年生まれ。1972年東京大学大学院工学系研究科船舶工学専門課程修士修了。同年石川島播磨重工業(現IHI)に入社、77年に東京大学に移り、94年より同大教授。専門は船舶工学、計算流体力学、システムデザイン、技術マネジメント、経営システム工学。世界最高峰のヨットレース「アメリカズ・カップ」の日本チーム「ニッポンチャレンジ」でテクニカルディレクターを務めた。著書に『アメリカズ・カップ―レーシングヨットの先端技術―』(岩波科学ライブラリー)、『プロジェクトマネジメントで克つ!』『理系の経営学』(日経BP社)など



このコラムについて

宮田秀明の「経営の設計学」

経営には「論理」が必要である。論理を積み重ねた理系思考がイノベーションを育む。技術力を最大限に生かし、プロジェクトをまとめ上げ、新しいビジネスを創造する。「理系の経営学」を提唱する東京大学の宮田秀明教授が理系の視点による経営の要諦を語る。

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