現在、金曜夜7時過ぎです。通常、このコラムの原稿は金曜の朝の会社の始業前に書いて、担当編集のYさんに送ることになっているのですが、どうにもこうにも忙しくて、金曜夜の原稿提出になってしまいました。
今週は仕事が集中して忙しいことに加えて、Twitterのタイムラインを見ていると、どうしてもオリンピック中継が気になってしまい、デスクのすぐそばにテレビはなくても、ワンセグという便利な機能によりケータイでテレビ放送が見ることができてしまい、さらに自分がオリンピックを見ていることをTwitterでつぶやきたくなって、それを見た同僚がオフィスの中で声をかけてきて…と、まぁ、完全に自業自得なのですが、どんどん時間が経っていきます。
以前は、仕事と仕事の細切れ時間に色々な作業ができていたのが、そっくりTwitterをチェックする時間になってしまい、気がつけばさまざまな仕事が滞っている、というわけです。
で、これは、私だけに起きていることであるかといえば、そうではないようです。
Twitterのタイムラインでも似たような嘆息にしょっちゅう出くわします。「消費者が、以前に比べて多忙になり、広告やメディアに対して注意を払ってくれなくなっている」というのは、ずいぶん前から言われていることですが、Twitterの出現により、さらに加速している気がします。
百花繚乱!「俺のTwitter論」
最近、知人と会ったり、同僚とオフィスで打ち合わせをしていたりすると、「Twitter現象を、俺はこう見る」という持論を披露されることが本当に多いです。この日経ビジネスオンラインでも、大勢のコラムニストの方がTwitter論を語っていらっしゃる。はい、私も過去に書いております。本屋に行けば関連図書が次々と出ているし、使っている人も、そうでない人も、もはや無視することのできない存在になっていると思います。
Twitter論が飛び交う理由のひとつには、Twitterの魅力が、やっていない人にはなかなかわからないことにあると思います。
わからないから「どうせ、あんなもの」という主張のTwitter論を生み、それが実際にTwitterを使っている人間には面白くないから、新たなTwitter論へとつながっていく。そんな印象があります。
だから、百花繚乱の「俺のTwitter論」の中で、とくに自分では使っていない人に多いのが「これがはやれば、人はじっくり思考することができなくなる」「品性に欠けるようになる」といった「Twitterは害である」という見立てです。
もしかしたら、その通りなのかもしれません。
しかし、テレビが、1億総白痴化をなす危険な装置であったならば、我々は既に白痴化してしまっているでありましょう。同様に、今後我々は「じっくり思考することができない、品性の欠けた日本人」になっていくしかないのではないでしょうか。
実際には、人間はけっこう器用で、白痴にもならず、品性ゼロにもならない、バランスをどこかに見つけると思うのですが。
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