「未来への扉を閉ざされた科学技術」

「はやぶさ」は日本の科学技術の誇り

打ち上げから地球帰還までの7年間を追う《前編》

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2010年7月29日(木)

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小惑星探査機はやぶさの大冒険』(山根一眞著 、マガジンハウス、7月29日発売、四六判本文296ページ+カラー16ページ、1365円)

 小惑星探査機「はやぶさ」の7年間を描いた拙著、『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス刊)がやっと7月29日発売にこぎつけた。本連載では事業仕分けを踏まえて政府の科学技術のあり様について警鐘を鳴らしてきたが、「はやぶさ」の帰還は別の形で日本の科学技術を考えさせられるきっかけとなった。そこで、取材・執筆を通じて何が見えてきたのか、2回にわたって報告する。



 私の書斎の壁にかかっているカレンダーには、5月1日から6月12日まで、「−39」「−38」・・・「−2」「−1」という数字がペンで記してある。6月13日を「0」とするカウントダウンの数字である。

 6月13日――。それは、小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還予定日だ。「はやぶさ」の正確な地球帰還日はなかなか公開されなかったため、カレンダーのカウントダウンは5月から始まっているのである。私は、このカウントダウンの数字にせかされるように、原稿執筆を猛然と進めたのである。

 2010年1月上旬、出版社のマガジンハウスから「はやぶさ」の本の執筆依頼を受けた。「はやぶさ」の地球帰還前に出版して、「はやぶさ」への理解を広めたいというリクエストだった。同社と計画していた別の本が薄手のブックレットだったので、2週間もあれば入門書をまとめられるだろうと思い、軽い気持ちで引き受けた。

 だが後に、しっかりとしたノンフィクション本としての依頼だったと知り、青くなった。時間が足りない、進行中の大事な本がまだ終わっていない、今からでは追加の取材は難しい・・・。とはいえ、「はやぶさ」の存在は広く伝えなければならないという思いは大きかった。

 2009年秋の「事業仕分け」では、宇宙予算も大きな「攻撃対象」にされた。1プロジェクトについて数分の質疑応答のみで「縮減、廃止」とされたものが多かった。「仕分け人」たちは後に、「質問してもきちんとした説明ができなかったじゃないか」と口にした。だが実際は、きちんとした説明を始めると「時間がない、技術論は不要!」と「説明」は徹底して拒否されていた。国家が自らの手で、日本の誇り、未来を潰していく姿には言葉が出なかった。

 「はやぶさ」の後継計画については具体的には論じられなかったが、二度とこういう不幸に見舞われないよう、「はやぶさ」に代表される宇宙への取り組みがいかに大きな日本の誇りであり、国民にとって、特に「子どもたち」にとって未来に希望を抱く大きな存在かを、分かりやすく、徹底して書かなくてはならないと考えていたのである。

小惑星からサンプルを持ち帰る世界初の試み

 2009年に入ってネット上には膨大な「はやぶさ」情報が溢れ始めた。「はやぶさ」ファンが創作した映像も多くアップされ、また「はやぶさ」をテーマにするブログ、ツイッターも急増した。だがその多くは、JAXA(宇宙航空研究開発機構)やISAS(同・宇宙科学研究所)の公開データが基になっている。肝心のJAXAやISASの「はやぶさ」情報も7年間にわたる新旧のウェブサイトが入り交じっていて分かりにくい。「はやぶさ」の打ち上げ後に日本の宇宙3機関が統合されJAXAが誕生したことも、分かりにくさの原因の1つだと思う(分かりにくさではNASAも同じだが)。

 「はやぶさ」チームの各人が公開しているウェブサイトも少なくない。ネット上で「はやぶさ」を調べ読み始めると、何日徹夜をしても読み切れないデータの洪水に溺れてしまう・・・。また、宇宙技術だけに、JAXA/ISASの情報は難解なものも少なくなかった。

 マガジンハウスからの依頼は、そこで、「『はやぶさ』のすべてをスッキリと整理をし、中学生でも理解できる分かりやすい内容で書いてほしい」というものだった。

 宇宙取材は1990年代初頭から始めているが、その中で「小惑星へ行きサンプルをかっさらって地球に持ち帰る計画がある」と知った。そんなとてつもないことを日本がするのか、とびっくりした。世界のどこもまだ実現していない、生半可なことではできない挑戦だ。こういうフロンティア・スピリットは、国家にとって欠かせない力の根源でもある。これは黙ってはいられない、と取材を開始したのである。

2003年2月19日、「はやぶさ」の打ち上げの約3カ月前に宇宙科学研究所・内之浦宇宙空間観測所(通称・内之浦宇宙センター)を取材。的川泰宣教授(当時・所長、現・名誉教授)の案内でM-Vロケットや発射台を見た。(写真・山根事務所)
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2003年2月19日、M-Vロケットの発射台横にこんな説明図が掲示してあった。(写真:山根一眞)
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 2003年5月9日のM-Vロケットによる「はやぶさ」の打ち上げにも立ちあったが、知れば知るほど課題の大きさを実感。このミッションがすべて成功するとは思えなかった。

2003年5月9日、内之浦宇宙センターで「はやぶさ」を搭載したM-Vロケットが打ち上げに成功。その直後の記者会見で解説をする的川泰宣所長(当時)。左端に山根、その前に山根チームの喜多充成の姿が。(写真:山根事務所)
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著者プロフィール

山根 一眞(やまね・かずま)
ノンフィクション作家/獨協大学経済学部特任教授

山根 一眞1947年東京生まれ。獨協大学外国語学部卒。科学技術の現場を伝えた週刊誌連載「メタルカラーの時代」を単行本・文庫本で23冊出版、東京クリエーション大賞受賞。1997年以降、「環業革命」(環境技術による新産業革命)を訴えてきた。阪神・淡路大震災以降、災害・防災もテーマの柱の1つで多くの記事を発表してきた。NHKキャスター(通算7年)、2001北九州博覧祭北九州市館、2005愛知万博愛知県館、国民文化祭2005福井、各総合プロデューサー。JAXA嘱託、福井県文化顧問、日本生態系協会理事、日経地球環境技術賞審査委員、講談社科学出版賞選考委員、北九州マイスター選考委員、計算科学研究機構運営諮問委員などをつとめる。日本文藝家協会会員。『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(2010年科学書Best Books1位)のほか『環業革命』『メタルカラー烈伝温暖化クライシス』『賢者のデジタル』など著書多数。 山根事務所



このコラムについて

未来への扉を閉ざされた科学技術

科学技術は世界の課題解決を実現して人類の幸福に寄与するためのものであり、目先の成果ばかりに目を向ければ道を誤る。また、企業や大学のみでは経済的な負担が大きすぎて手にできない施設や研究環境は、国が担うことで豊かな未来を築くことが可能となる。ところが、2009年11月に行われた「事業仕分け」では制度改革と予算廃止や縮減が混同された。結果として、日本の科学技術の未来を閉ざす危機を招いてしまった・・・。「メタルカラーの時代」などで20年以上にわたり先端の科学技術を取材してきたノンフィクション作家の山根一眞氏が警鐘を鳴らす。

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