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経営者がピッチャーをやらない企業は弱い

社長は監督専任ではいられない

  • 宮田 秀明

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2011年3月4日(金)

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 24歳で重工業会社に入社し、横浜の戸塚にあった寮に住むことになった。寮生40人あまりの小さな寮で、すぐにたくさんの友人ができた。スポーツ好きの仲間が多かった。
 「俺、ヤリで国体に出ましたよ」
 「ヤリ?」
 「ヤリ投げですよ」
 こんな会話から始まって、遊び友達、飲み友達がたくさんできた。高卒、高専卒、大卒と色々な学歴だった。

将来に思いが至らずゴルフをやめた

 この寮の小さな庭にあったケージと近くの打ちっぱなしを使ってゴルフの練習を始めた。私にゴルフを教えてくれたのが、関西の私学出身のA君だった。なぜかアイアンの3番を中心に教えられた。

 「これで真直ぐ200ヤード飛ばせるようになれば何でもできる」

 よく分からないまま、こんな練習を続けていた。8月になって夏休みが来た。社会人としての初めて松山へ帰省する途中、大阪のA君の家に寄った。A君の地元の友人を誘って淀川の河川敷のパブリックコースでゴルフをすることになった。

 借り物のクラブで確か使ったのは3、5、7番のアイアンとパターだけだった。ティーショットは得意(?)の3番アイアンで打つのだ。大きく曲がったボールが土手のコンクリートに当たってコースに戻って来るハッピーなどがあって、初体験なのにスコアはハーフで50台だった。

 しかし、24歳で元気いっぱいの若者に、ゴルフは物足りなかった。「なんで、打った後、のんびり歩くのだろう。野球なら打ったらすぐ走るのに」と思った。

 そうしてゴルフをやめた。今から思うと、これは人生の失敗の1つだ。走らなくていいからこそ、長い年月、高齢になっても楽しめるいいスポーツであることにまで思いが至らなかったのだ。

会社の有志と草野球を楽しむ

 ゴルフをやめてから始めたのが、軟式野球だった。子供のときから一番好きなスポーツは野球だったが、一度もチームに所属したことがなかった。肩には自信があったのだが、本当の遊びのゲームしか経験がなかった。

 会社の有志が集まった、東京の中央区野球連盟に所属する草野球チームに加わった。中央区にはたくさんの企業があって、そのころは野球好きの人が多かったので、この連盟には1部から4部まであった。私が加入したチームは確か一番下の第4部に所属していた。弱いチームだ。チームの名前は「レールウェーズ」と言った。豊洲の工場近くの貨車の引き込み線の上で練習していたから、こんなチーム名になったらしい。

 最初の年は野手として8試合出場した。その年は打撃が好調で、通算4割1分7厘の成績を残した。3番か5番の打順に据えられることが多かった。練習と試合のほかに、その後の飲み会も楽しみだった。この年の忘年会では、この打率を書いたサインボールをもらった。今も大切にしている。

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