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40年前の職場の風景

若い時代の広い交流は人生の宝

  • 宮田 秀明

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2011年10月7日(金)

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 東大に転職して35年目になった。ほとんど毎日、千代田線の根津駅で地下鉄を降りて、鉄砲坂とか弥生坂とか呼ばれる坂を登って本郷の職場に向かう。根津と本郷の中間の地名が弥生で、ここで発掘された土器を弥生式土器と呼ぶようになった。

 この坂の登りで時々すれ違う女性がいる。初めてお会いしてから約40年の歳月が過ぎた。私より年長なので、もう今ではかなりの高齢だが、そのスラッとした長身のカッコ良さは40年前と変わらない。たまに立ち止まって話すこともなくはないのだが、いつもはただ笑顔で会釈するだけだ。

 24歳でIHIに入社して、第一勧業銀行に預金口座をつくった。給与振込先として指定されていたからだ。この第一勧銀の本店で、IHIを担当していたのが、今も弥生坂で見かける堀野さんという女性なのだ。当時の第一勧銀の本店は、私が勤めるIHI本社の正面にあった。ATMがなかった当時、堀野さんは銀行から出張してきて、私たちのデスクを回りながら入金、引き出しのサービスをしてくれた。

人事担当者を口説いて基本設計部へ

 弥生坂で彼女をお見かけするたびに思い出すのがIHI船舶基本設計部時代のことだ。

 入社4カ月前に人事部が決めた私の初任地は、兵庫県にある相生工場の設計部だった。合併前は播磨造船の主力工場で、商船建造量で世界一になったこともある。

 ふつう船舶の設計は基本設計と詳細設計に分かれている。この2つの設計部の役割分担は企業によってマチマチだが、IHIの場合は本社にある基本設計部の守備範囲が広かった。石川島重工業と播磨造船と呉造船が合併して数年もたたない時代だったのに、本社の船舶基本設計部のまとまりは極めて良かったと思う。

 相生工場の詳細設計部行きを伝えられた私は、担当の人事課員を説得した。無試験で入社できると誘われたIHI技術研究所への入所を断って、入社試験を受けてIHIに入ったのは、基本設計をやりたかったからだ。詳細設計も大切だ。しかし、長さや幅などの主要目や速力など、たくさんの重要なことを決めることこそNaval Architectの仕事だと思っていた。小学生の時代からの夢だった。

 小学校2年の時、松山港に入港した出光興産の「日章丸」を訪れて、船長室でおいしいお菓子を頂いた。この時、そのタンカーの大きさに驚いた。載荷重量1万8000トンだったから、後になって思えば小さい船なのだが、小学2年生にとっては巨大だった。

 小学校5年生の時には、松山の三越で開催された「三笠展」を家族で訪れて、「日本の軍艦」という福井静夫さんの本を買ってもらった。三笠は、日露戦争の時の連合艦隊の旗艦だ。本の定価は500円だった。難しい技術の本なのだが、この本によって船舶設計の面白さを知り、軍艦デザイナーの平賀譲さんに出会った。

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