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「戦う気持ち」が進歩と喜びをもたらす

ドラマ「坂の上の雲」を見て感じたこと

  • 宮田 秀明

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2012年1月13日(金)

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 年末にNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見た。歴史をかなり忠実に再現したドラマにしていたので、興味深かったし、考えさせられることが多かった。

 私は主人公の3人――秋山好古、同真之、正岡子規――と同じ伊予松山の出身であるだけでなく、日本海軍の技術将校を輩出した東京大学の船舶工学科を卒業し、長らくここで教べんを執ってきた。教育と研究の対象は軍艦ではないが、大型実験設備である「船型試験水槽」は1936~37年に日本海軍が東京大学に寄贈したものだ。私はこの施設を35年間、管理運営し、今もこの一画にオフィスを構えている。

 もちろん明治時代に活躍した方々との接点はない。だが、間接的なものなら少しだけある。

明治の偉人たちとのかすかなつながり

 私の生家は秋山兄弟の生家から北へ500メートル行ったところにある。松山城の北東のふもとで、江戸時代の名残の町名が――鉄砲町、矢はぎ町、弓の町など――残っていた。つまり江戸時代は武器職人の街だったのだ。私の祖先は松山の南の大洲藩の下級武士で、明治になってから松山へ移住してきた。

 昭和20~30年代の地方都市松山では、コミュニティーが豊かな人間関係を育んでいた。

 私の家から30メートルほど離れたところに「虎尾のバアチャンの家」というのがあった。貧しい家なのだが、近所の皆に好かれていた。「虎尾のバアチャン」の孫娘たちも優しい良い人だった。幼稚園から小学校前半のころ、私は「虎尾のバアチャンの家」へよく遊びに行っていた。ご飯は麦飯だったが、おいしかったのを覚えている。この「虎尾のバアチャン」のご主人は日露戦争で戦死したのだそうだ。

 私の父は秋山好古を何度も見かけている。晩年の秋山好古が校長になった北予中学校は父の通う清水小学校の隣だったからだ。秋山校長は毎朝中学校の校門に立ち、登校してくる生徒たちに「おはよう」と言っていたそうだ。

 こんなに小さなことだが、それでも明治の歴史とかすかなつながりを持つ私たちは、日本の将来のために何かをしなければならないのではないか。「坂の上の雲」を見てそう思った。

日露戦争も戦後の復興も「戦う気持ち」で乗り切った

 45年間にわたった明治時代は、日本の歴史の中で最も特異な時代として記憶されるだろう。国民全員が力を合わせて戦った時代だったからだ。国のリーダーは最大限の背伸びをしてリーダーシップを発揮し、庶民は貧しさと闘いながら、世界と闘う日本を支えた。

 日本海海戦は、こんな一方的な勝利をもたらした海戦は世界の歴史上ないとされる。それも、欧米を模倣してつくった日本海軍――欧州の先進国から技術と軍艦そのものを輸入して急速につくり上げた――が、世界が驚く成果を上げたのだ。この成果の根底にあったのは司令官、将校、兵士のすべてに共通する「戦う気持ち」ではなかったかと思う。

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