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私たちはなぜ被災漁村に「子どもの夢のおうち」を作ったのか(その2)

2012年8月6日(月)

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 2011年4月2日。三陸海岸の僻地漁村、大指(おおざし:石巻市北上町十三浜)にたどり着き、支援物資をクルマから下ろしたが、なんとも情けない「量」にもかかわらず、津波の被災者である漁師たちが喜んでくれたのはちょっと救いだった。だが、その後、交わす言葉がない。避難所の外では、子どもたちがはしゃいで遊び回っていたが、いきなり「遊ぼうか」と言うわけにもいかない。避難所として使われている集会所の建て屋の外に並ぶいくつかのテントの1つは仮の「調理場」で、奥さんたちが味噌汁など簡単な夕食の用意を始めていた。

 被災地を訪ねた部外者(ボランティア)は、「アゴアシは必ず自分で用意する」のが大原則。もちろん取材者も。私も夕食の用意をしなくては。持参したキャンプ用のガスバーナーなどをクルマから出し、ラーメンでも茹でて食べようと準備を始めたところ、奥さんの1人から「いっしょにご飯を食べて下さい」と、強く勧められた。毎日、自衛隊の食料支援でかなりの数のおにぎりが届くが、数は十分あるので、という。ちょっと複雑な思いだったが、結局、厚意に甘えた。

大指漁港の被災状況。漁港に面した細長い平地に13世帯の住宅兼作業場があったが全滅した。2011年4月3日撮影。(写真:山根一眞)
被災者自身による夕食の準備が始まった。2011年4月2日撮影。(写真:山根一眞)

手作りの「サロン」で若い漁師と語り合う

 集会所の広間はもともと板の間だったが、自分たちで畳表を敷きつめ座れるようにしたのだという。この夕食の場で、若い漁師たちとやっと言葉を交わすことができた。3月11日のこと、その後のことなどを、ぽつりぽつり、と。

 食後、外のテントの1つに誘われた。そこは避難所内のサロンだった。気温は5℃前後と寒い。彼らは、瓦礫の中に残っていた鉄製の薪ストーブに木っ端を入れて暖をとりながら、ビールケースなどで作ったベンチに座り、持ち寄った酒を飲み交わしながら、毎晩、おしゃべりに花を咲かせているという。アルコールが回れば、誰もが饒舌になる。津波の襲来時のこと、その日の夜の行動、そして翌日のことなど驚きの連続だったが、3・11後の3週間の奮戦ぶりには嘆息するばかりだった。

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「山根一眞のポスト3・11 日本の力」のバックナンバー

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「私たちはなぜ被災漁村に「子どもの夢のおうち」を作ったのか(その2)」の著者

山根 一眞

山根 一眞(やまね・かずま)

ノンフィクション作家

ノンフィクション作家として先端科学技術分野の熱い人間像を描き続ける一方、3.11被災地支援活動も人生の大きな柱です。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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檜山 敦 東京大学先端科学技術研究センター 講師