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私たちはなぜ被災漁村に「子どもの夢のおうち」を作ったのか(その4)

2012年8月27日(月)

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 巨大津波で壊滅した三陸海岸の小さな漁村、大指(おおざし:宮城県石巻市北上町十三浜)。「見捨てられた被災地」とも言われたここに、夢のある子どもたちのための施設「ドームハウス」を作ろうという計画の実現に向けて、材料はほぼ確保できた、工事担当も得られた。

 苦労しながらも行政の許可も何とかなりそうだったが、計画を断念せざるを得ない状況に追い込まれた。最低限の設備も含めて建設費の見積額がさらに上がり、1000万円に迫っていると知らされたからだ。個人チームの支援を超えた額だ。資金のメドがつかない。

 日本小児科医会から200万円の支援をいただいたのはありがたかったが、8月末に申請しアテにしていた「子供サポート基金」(出資は某携帯会社系)から届いた通知は「不採用」。私たちの計画や思いそのものが打ち砕かれる感じがした。

スウェーデン・エリクソン社の支援ヘリコプターで大指へ支援物資を届けたが、続々と子どもたちが集まってきた。2011年4月20日。(写真:山根一眞)
パイロットは「支援フライトでこれほど嬉しいことはなかった」と、子どもたちに「ヘリ体験」をさせてくれた(飛行はせず)。2011年4月20日。(写真:山根一眞)
大指には若いカップルと子どもの数が何とも多いことを知った。2011年4月20日。(写真:山根一眞)

 7月末、大指にやっと仮設住宅が完成、避難所も役割を終えていた。3・11からすでに5カ月が過ぎ、被災地は少し落ち着きを取り戻しているようにも思えた。資金が集まらぬままの夏、夢中になって「子どもハウス」の実現を目指してきた私たちの行為は、支援する側である私たちの「自己満足」だったのではないか、という思いにもとらわれ始めた。

 「支援する側の自己満足」は、これまで多くの被災地で見聞してきたことで、それは「支援される側」に大きな負担を強いることになる。私たち自身、そこにはまり込んでいるのではないか。何よりも資金確保のメドがつかないのだから、無理をするべきではないのでは…。

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「私たちはなぜ被災漁村に「子どもの夢のおうち」を作ったのか(その4)」の著者

山根 一眞

山根 一眞(やまね・かずま)

ノンフィクション作家

ノンフィクション作家として先端科学技術分野の熱い人間像を描き続ける一方、3.11被災地支援活動も人生の大きな柱です。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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