「君の質問の意味がよく分からない。私の担当範囲について聞いているのか。それとも当社全体について聞いているのか」
駈け出しの記者の頃、米企業の事業責任者や製品責任者を取材していて上記のように聞き返されたことがしばしばあった。
担当している領域と行使できる権限の範囲内であればよどみなく質問に答えてくれるが、そこを越える、あるいは越えるかのような質問には答えてくれない。
そこで米国人を取材する際には「あなたの任務と責任について確認させてほしい」と最初に頼むようにしている。その上で取材の後半に「あなたの責任範囲ではないが、これこれしかじかについてどう考えるか」と敢えて聞いてみたりする。
「個人の意見だが」と前置きして答えてくれる場合もあるし、「それは○○に聞いてよ」と言われることもある。○○にはその企業のCEO(最高経営責任者)の愛称が入るのが普通だ。
とにかく彼、彼女らは何事においても境界をはっきりさせている。「ここからここまでが自分の仕事であり、遂行するためにこういう権限がある」と明確に認識している。
現場の人をオーナーとは呼ばない
米国でよく使っていながら適切な日本語訳が見当たらない言葉は多いが、オーナーシップはその一つである。直訳すれば、所有者たること、つまり何かを所有している人が持つべき姿勢や態度を指す。
米国人は目に見えないものにもオーナーを決める。例えば「このビジネスプロセスのオーナーは誰々」「マスターデータの修整にはオーナーの許可が必要」と言ったりする。
プロセスやデータのオーナーはオーナーシップを発揮し、プロセスやデータを表現するモデルを記述するとともに、その品質に責任を持ち、改善策を考え、実行を依頼する。プロセスやデータを修整する際には、オーナーに申請しなければならない。
コラムを読んで国境線のことに思いが及んだのは私だけだろうか。かつて米国はカナダとの国境線を確定させるために膨大な労力を払ったと聞く。結果、今では、両国民は殆ど意識しないで往来できるそうである。一方で、日本は尖閣といい竹島といいその場しのぎで主張をあいまいにしてきた結果が今日の有様に至っている。異質な者同士かつ必ずしも好意的でない人たちに囲まれて物事を進めていく場合には、米国流の境界をはっきり定めて曖昧にしないやり方が優れているのではないか。(2012/09/03)