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49年前、東京の空にかかる「5つの輪」を見上げた

「東京オリンピック2020」成功への助言(1)

2013年10月11日(金)

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 49年前の1964年10月10日、午後2時58分、東京の国立競技場で昭和天皇のお言葉があった。

 「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」

 東京オリンピックの開会式だ。

 この初めての東京オリンピックの開会式からちょうど49年目を迎えた昨日、あの日のことが鮮明に蘇った。そこで当時のアルバムを引っぱり出してながめるうちに、ふつふつとさまざまな思いがわいてきた。

東京オリンピック開会式の日、昭和39年10月10日の日付が押された記念急行券。発行駅が東中野なので、通学の途上で買ったようだ。デザインが見事(山根一眞所蔵)

 あの日、1964年の10月10日、明治学院東村山高等学校の1年生だった私は、自宅のテレビで開会式の中継を見ていた。この日は土曜日だったので、学校から急いで戻りテレビにかじりついたのではないかと思う。

 日本でのカラーテレビ放送はその4年前の1960年9月10日に開始されてはいたが、カラーテレビのある家庭はほぼ皆無。テレビ視聴はモノクロのブラウン管(もう死語だが)の14インチが標準サイズだった。今ではそんな小さな画面のテレビは探すのも難しいが、不思議なことに当時は小さいと感じることはなかった。それは、脳がとらえるテレビの存在が大きい時代だったからだろう。

 昭和天皇の開会宣言の12分後、国立競技場の上空に航空自衛隊のアクロバット飛行チームが操縦するF-86F戦闘機、ブルーインパルスが飛来しスモークで五輪の輪を描いた。モノクロテレビでそれを見た私は、庭に飛び出して東の空を見上げた。雲一つない青空に描かれた輪はきれいな5色で重なりあっていた。モノクロテレビではわからなかったその色が今も忘れられない。

 国立競技場は私の自宅(中野区東中野)から直線距離で4キロちょうどだが、高いビルがまだほとんどなかった時代ゆえ視界を遮るものがなく、開会式場にいるような臨場感を味わえたのである。

 気象庁の記録を調べたところ、この日の午後3時の都心は気温が20.6度、湿度37パーセントで雲量は0。雲一つない、すっきりした秋晴れだったのだ。五色の煙の輪がやがて歪み始めたことを覚えているが、それは北東の風3.9メートル(午後3時)の影響だったのだ。

 高画質のハイビジョンカラー放送によるリアルタイムの疑似体験ではなく、また開会式場にいた者だけでなく、あの日、東京人はそれぞれの場所から青空を見上げてリアルに開会式を同時体験した。それはどんなメディアよりも鮮烈で、東京が故郷であることの幸せをかみしめた(だからこそ、私は日本での2度目のオリンピックを「東京」で開催するのは「ずるい」、他都市で行うべきだと願っていたのだが……)。

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「49年前、東京の空にかかる「5つの輪」を見上げた」の著者

山根 一眞

山根 一眞(やまね・かずま)

ノンフィクション作家

ノンフィクション作家として先端科学技術分野の熱い人間像を描き続ける一方、3.11被災地支援活動も人生の大きな柱です。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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