真面目だが思い込みが強すぎて視野が狭い。周囲と折り合えず状況を踏まえた行動ができない。その場を乗り切るために思いつきを口にしてしまう。結果として面倒を起こすが自分が原因だという自覚がない。以上が理系の欠点である。
文系の人からこう決め付けられたら理系の人は立腹するに違いない。実際、理系の筆者は常にむっとしている。のっけから私事を書いて申し訳ないが、毎日顔を合わせる配偶者から事あるたびに冒頭のような批判を浴びせられ、「これだから理系は駄目だ」と言われてきた。
百歩譲って筆者については指摘通りだとしても理系の人が全員「思い込みが強すぎて視野が狭い」訳ではないし、「状況を踏まえた行動ができない」文系の人もいるはずだ。「誤解に基づく偏見だ」と言い返すものの、敵は怯まない。数年前、二代続けて理系の総理大臣が登場し、どちらも残念な結果に終わった時、彼女は「その場その場で相手が喜ぶ発言をして追い込まれていく理系の典型」と失礼な物言いをしていた。
理系文系という表現を安易に使ってしまったが数年間在籍していた学校の種類によって人を生涯区別し、場合によっては別々の人事制度を適用する。これは日本の悪しき慣習である。理系社員の数が文系よりはるかに多いにも関わらず社長には必ず文系が就任する企業や、理系はあくまでも専門家に留めておき要職を文系で固める官庁は存在する。
理系文系の区別はおかしいと指摘したいのであって、理系が多い会社の社長は理系にすべきとまで言うつもりはない。だが困ったことに優秀な理系人材を擁していたはずの企業や組織が、問題や騒動や不祥事を起こす例が近頃散見される。それぞれの事情があるわけだが、理系同士あるいは理系と文系がうまく連携できない、そもそも連携は同床異夢だった、といった辺りが根本の原因であるように思えてならない。
「それはうちの仕事ではありません」
製造業の営業部門や本社にいる文系人材からよく聞かされるのは、研究所や工場に所属する理系人材に対する批判である。研究所の研究員が開発してきた技術を顧客に提案したところ、しばらくして顧客の現場で使うために必須の機能が無いことが発覚した。営業部門は「この機能を付けておくのは当然だ」と怒るが、研究者は「その要件は誰も指摘しなかった」と反論する。
「当社が持つ様々な技術を組み合わせ全社の付加価値を高めていきたい」。メーカーの社長が年頭所感などでこう述べる。組み合わせるには複数の部門が連携しなければならないが簡単ではない。既存の製品や技術をインターネットを介して結びつけ、製品や技術を遠隔地から制御したり監視したりする取り組みが求められているが、それを実現するコンピューターソフトウエアの開発になると社内の部門間で押し付け合いが始まる。
ある製造業は「ハードウエアの設計こそが技術者の仕事でソフトは外注で済ませればよい」という社風を持ち、しばしばソフトで問題を起こしているにも関わらず子会社や協力会社にソフト開発を丸投げし続けている。こういう話もある。「工場側でソフトを用意する体制を作って欲しい」と本社の事業部門が申し入れ、ソフト開発要員を工場に移すことが決まりかけたが工場は「ソフトはうちの仕事ではない」と受け入れを拒否した。
同じ理系のエンジニアでも外資の場合自分からのアピールが無いと埋没してしまう。それはすなわちやりたい仕事にアサインもされないし評価もされない、出世も昇給も望めないことを意味する。それは何も外資系エンジニアだけでなく子にの予算を当てにする研究者にも必須のスキルと言える。「仕分け」担当者に「二番じゃダメなんですか?」と聞かれても「あなたも某社のキャンペーンガールで"一番"だったから今の地位があるのでしょう」と返せば理解が得られたのでは?(2014/04/15)