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野心があれば夢はかなう

次代担うテノール歌手、サルヴァトーレ・リチートラが語る

  • 伊熊よし子

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2006年11月13日(月)

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オペラ歌手。1968年スイス、ベルン生まれ、38歳。母親の薦めもあって89年、21歳の時から声楽の勉強を本格的に始めるも、すぐには花を咲かせることができなかった。しかし、2人目に師事したテノール歌手カルロ・ベルゴンツィとの出会いが転機になり、98年1月にパルマ王立歌劇場で公演された「仮面舞踏会」でオペラ・デビューを果たす。98~99年、ミラノ・スカラ座でリカルド・ムーティ指揮によるヴェルディ「運命の力」でドン・アルヴァーロを歌い、その後「トスカ」「アイーダ」「マクベス」など数多くの主役をこなす。ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3大テノールの後継者の1人と目されている。
(写真:川口 愛、グラフィックデザイン:Tae Ishii)

 名門の音楽学院で基礎を学んだわけではない。一時はグラフィックデザインの会社に勤めていた。本格的なレッスンを始めたのは21歳。それから7回もコンクールに落ちた。デビューを果たしたのは1998年、年齢は30歳を超えていた。

 サルヴァトーレ・リチートラは煌びやかなデビューストーリーを持って登場したわけではない。だが、今やオペラ界では、リチートラはルチアーノ・パヴァロッティに匹敵するようなスターになると見られている。実際、彼は2002年、わすか30分の準備でパヴァロッティの代役を果たした。

 METの名で親しまれているニューヨーク・メトロポリタン歌劇場。2002年5月11日、パヴァロッティはMETで最後のオペラ出演としてプッチーニの「トスカ」のカヴァラドッシ役を歌うことになっていた。開演30分前、劇場内にパヴァロッティが病のために出演はキャンセルするというアナウンスが流れ、代役の名が告げられた。その名はサルヴァトーレ・リチートラ。

 終演後、観客は席を立ち拍手の嵐で熱唱を称えた。翌日の新聞は「輝かしく力強い高音」「弱音の繊細なフレーズの美しさ」「筋肉質で敏捷性に富む声」と、こぞって高い評価を与えた。その後は、スターダム街道を走り続ける。遅咲きの彼が、輝く原点はどこにあるのか。

 ―― リチートラさんは話し声もよく響く浸透力のある強い声ですが、子供の頃から教会で歌ったり、合唱団に入ったり、何か歌とのかかわりを持っていたのですか。

 リチートラ いいえ、全く音楽とは関係のない生活を送っていました。ただし、テレビから歌が流れてくると、それをすぐにまねして正確に歌えるような子供でした。そんな私を見て母が聖歌隊に加わるよう勧めてくれたのですが、当時はとてもシャイでしたので、人前で歌うことなどとてもできないと、母の言葉から逃げ回っていました(笑)。

 ですから、もちろん音楽学校にも行っていません。グラフィックデザインを学び、18歳の時にグラフィックデザイナーとして仕事を始めました。でも、その仕事をしながら大声で歌っているのを聴いて、母が歌の勉強をすべきだと強く言い張ったのです。

 ―― 音楽はどのように勉強したのですか。

(写真:katsuyoshi Tanaka)

 リチートラ 音楽学校には行かず、グラフィックの仕事をしていたのです。だから本格的に音楽の勉強をしていなかったのですが、母の勧めもあり、21歳から声楽の先生についてオペラの歌唱法を学びました。毎日その先生に通いました。

 最初の先生には6年間、習いました。しかし、振り返ると、最初の先生は全く私にとってプラスになることを教えてくれませんでした。その証拠に、習っている間にコンクールに7回挑戦しましたが、すべて落選しました。

 ―― なぜ、7回も落選したのでしょうか。

 驚かれるかもしれませんが、劇場のコンクールに出てくる審査員と言われる人は、必ずしも音楽の知識が豊富ではなく、この声質にはこの役が適しているということを、本当の意味で理解している人は意外といないのです。

 音楽の知識が豊富な審査員に巡り合わなかったこともありますが、最初の先生は私の声に合わない、「アイーダ」や「トゥーランドット」といった重い声質を要求される曲を歌わせてばかりいたことも関係しました。こういった曲を習い始めたばかりのような人間に歌わせると、声の質を壊す可能性があり良くなかったと思います。

 私の声はもっと軽く明るく叙情的な役の方が合っていたのです。合わない曲を歌わせ続けられたのですから、私の声もおかしくなりました。するとその先生は「あなたはバリトンに転向しなさい」と言ったのです。これを聞いて、「もうこの先生ではだめだ」と思い、離れる決心をしたのです。

6年間練習したことをすべて忘れたのが飛躍に

 ―― 次に師事されたのは、テノール歌手のカルロ・ベルゴンツィさんですね。ベルゴンツィさんの元でレッスンを受けたことで、ようやくデビューにつながるわけですね。

 リチートラ ベルゴンツィの元では2年間レッスンを受けました。彼が私に言ったのは、「今まで練習したことはすべて忘れ、習い始める前に戻りなさい」ということでした。彼は私に自分の自然な声で自由に歌い、人のマネをせず、本来の自分を取り戻すようにと。誰かのまねをするのではなく、自分の持っている個性、声質で勝負するのが一番だと。その教えは、今も忠実に守っています。

 イタリアのミラノ・スカラ座で名指揮者、リッカルド・ムーティのオーディションを受けて主役をもらった時も、自分の声、自分の表現、自分の解釈を貫き通しました。マエストロ、ムーティはそんな私にオペラのあり方、演技の仕方など、細かに助言を与えてくれました。現在は偉大なテノール、プラシド・ドミンゴから様々な助言をもらっています。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官