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2007年を斬る: 著作権延長論に物申す

驕るな、クリエーター! 著作権保護は「創作から5年」で十分

  • 山形 浩生

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2007年1月22日(月)

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 今、著作権の保護期間を延長しようという動きがある。

 現在、著作権は創作者の死後50年間保護されることになっている。僕が今書いているこの文章の著作権は、僕があと40年強でくたばるとして、だいたい2100年頃まで続くわけだ。その期間、僕(そして僕の死後は僕の相続人)は他人がこの文章を使用することについて物言いをつけることができる。

 それを創作者の死後から「70年」に延ばそうという声が上がっている。この文章の権利が、2120年あたりまで続くようにしようというわけだ。そして、それに反対する声が一方である。僕は明確に反対の立場を取っている。

賛成派と反対派の議論がかみ合わない理由は…

 12月11日、この問題についてシンポジウムが開催された(主催:著作権保護期間の延長問題を考える国民会議)。延長賛成派として松本零士や三田誠広、反対派として平田オリザや不肖この山形などが議論を闘わせ、その模様についてはネット上などでもいろいろと報道されている。全体に、賛成派と反対派の議論がいま一つかみ合わないというもどかしい印象があるようだ。

 「自分の死後、家族の生活を守りたいと思うのは、作家もそば屋やうどん屋の主人も同じ。作家の遺族は著作権法で守ってもらえるが、そば屋やうどん屋の遺族を守ってくれる“そば屋法”や“うどん屋法”はない」という司会者の指摘に対して、松本零士はこう述べた。

 「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」

 この一言をどう評価するかは、たぶんこの問題に対する見解次第だろう。ただ、この発言が比較的強い印象を残したのも事実で、同シンポジウムを取り上げたサイトのソーシャルブックマークでも、多くの人がこの一言に反応している。この一言に何か直感的な違和感を感じたわけだ。そしてその直感はたぶん正しい。

「そばは私にも作れる」発言に見え隠れするエリート意識

 この一言に人々が違和感を感じるのは、そこに漫画家や作家をはじめ、クリエーターと称する人々が無意識に抱きがちな奇妙なエリート意識がにじみ出ているからだ。自分たちは、お金とは関係ない崇高な価値創造行為をやっていて、ほかの下々の連中は金目当ての“ドタ作業”をこなしているだけ、というような。

 ここに、今回の議論がかみ合わない大きな原因があると僕は思う。

 「そばやうどんなら私でも作れる」──。まずはこの部分をよく考えてほしい。確かに、松本零士だってそばは茹でられるだろう。僕だってできる。だが、だからと言って、それでそば屋の仕事より松本零士のやっていることの方が偉くて価値が高いなどと言えるだろうか。ならないだろう。そば屋の主人が聞いたら、「ケッ、松本零士の茹でたそばに金出して食うやつがいるかよ、漫画家と一緒にするな」と怒るに違いない。

 松本零士が高く評価されるのは、彼が多くの人よりはるかに上手に、あるいは味わいのある絵を描けるからだ。そして、その作品を読んで感動を覚える人たちがとても多いからだ。だが、そば屋が評価されるのも、そのそばの打ち方、ゆで方が凡人よりずっとうまいからだ。これは、あらゆる仕事について言えることだ。なぜ、漫画家だのアーティストだの作家だのの仕事だけを特別扱いしなきゃならないのか?

 ところが、シンポジウムでは質疑応答の時間に写真家団体の代表者が松本零士と同じことを言っていた。「自分たちはとにかく持てる力のすべてを作品に注いでいる。ほかの連中は適当に金を稼いで家を建てたりできるが、自分たちには作品しかないのだ」と。僕はこの写真家の発言を聞いて、その傲慢さに唖然とした。

経営者やサラリーマンだって「価値の創造者」だ

 読者の皆さんのほとんどは、作家やミュージシャンではないだろう。多くが組織に属して給料をもらうサラリーマンなのではないか。だが、皆さんが仕事をする時、適当にこなして金を稼ぐような安楽なことばかりしているだろうか。もちろん最終的にちゃんと実入りは欲しい。でも、どんな人でもその職能を存分に発揮して良い仕事をすることにこそ大きな喜びを感じているのではないか。

 僕がODA(政府開発援助)関連で電力プロジェクトの分析をする時、僕は精いっぱい、その国の人々が将来豊かになれるかどうかを真剣に考える。プログラマーは、良いプログラムを書こうとして最大限に努力する。官僚だって、国のために最も良い政策を考える。年がら年中、全力疾走ではないにせよ、どんな人にだって最大限の努力をして自分の仕事に真摯に取り組む瞬間というものがある。その努力が、クリエーターやアーティストの努力に比べて少ないなんて言えるだろうか。

 命を削る貧乏アーティストの苦労話はよく聞くけれど、アーティスト以外の人だってその何十倍もの人々が過労死しているのだ。彼らが安楽な金目当ての仕事をしていただろうか。そんなわけがない。誰しも(いや“ごくつぶし”も確かにいるので、ほとんどの人、と言っておこうか)、情熱を持って仕事に打ち込み、価値を創造している。そしてその多くの人たちが仕事で背負っているものは、小説だの漫画だのよりはるかに大きい。医者が仕事でミスをしたら人が死ぬ。エンジニアが設計を間違えたら橋が落ち、建物が倒れる。そば屋だって食中毒事故を起こさないという責任を負っている。作家や写真家やミュージシャンが仕事でヘマをしたところでせいぜい自分と家族が路頭に迷うくらいのものだ。それを考えたら彼らの仕事がほかの多くの職業より高尚で苦労が多いなんて言うのはおかしい。

 アーティストや作家は収入が保証されていないから生活が不安定だという反論もある。だが、読者の中で経営者の皆さんは、そんな物言いを聞いてせせら笑うだろう。収入が不安定で保証されていないのは自営業者や経営者なら当然のこと。どんなに頑張っても、結果的にお金になるかどうかなんて何の保証もない。精魂込めてそばを茹でても、そばが全然売れなくなることだってある。自動車会社のエンジニアがいかに心血を注いで車を作ろうとも、不景気で売れないかもしれない。それはアーティストやクリエーターの皆さんが、心血を注いだ作品が売れるかどうか分からないのと同じことだ。アーティストやクリエーターだけを優遇すべき理由はここにもない。

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