ずさんな品質管理が相次いで発覚し、消費者の前から商品が姿を消した不二家。「ペコちゃん」で親しまれてきた国民的ブランドは一瞬にして失墜し、創業以来の危機に直面する。突然訪れたかに見える危機も、実は12年前のある日を境に問題が社内で静かに膨れ上がってきた結果にすぎない。
「異論はないな」
1995年1月23日――。不二家が定例の取締役会を開く月曜日だった。当時の社長は藤井俊一。創業者、藤井林右衛門の孫で5代目社長。今回の不祥事で退任した6代目社長の藤井林太郎の従兄弟に当たる。その日、東京の気温は10度を超え、春の陽気を思わせた。俊一は、いつものように出社し、いつものように取締役会をこなすつもりでいた。
俊一が異変に気づいたのは、取締役会が始まる直前のことだった。突然、別室に呼び出されたのだ。そこには4代目社長で当時会長だった藤井和郎のほかに、経営を退いていた2代目社長の藤井誠司と3代目社長の藤井総四郎もいた。伯父たちに当たる歴代社長が居並ぶ席で俊一は引導を渡される。
抵抗しようにも、俊一の知らないところで幹部への根回しが済んでいた。その数日前、不二家のほとんどの取締役は「秘密厳守」で、藤井家の人々が居を構える横浜市鶴見区にあるビジネスホテルに招集されていた。その席で、藤井家の有力者は俊一の退任を予告。かつての上司に「異論はないな」とにらまれて反論できる者はいなかった。
別室から出た俊一は、すぐに取締役会に臨む。そして最初にこう告げた。「私、藤井俊一は、体調不良につき社長を辞任させていただくことになりました」。円卓を囲む10人余りの取締役の多くに驚きはなかった。目をそらすようにうつむくか、無表情を装って黙っているか。そして、6代目社長に林太郎が選任された。
社員に向けて社長退任の挨拶をする機会もなかった。社長退任後、俊一が不二家の門をくぐったのは取締役の辞表を林太郎に届けた1回だけ。冠婚葬祭を除けば、藤井家の集まりで俊一の姿を見かけることはなくなった。
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