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金子・有村「改革」の末路

“日興消滅”の危機、転落の発端は10年前に

  • 馬場 完治,細田 孝宏

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2007年3月6日(火)

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 あまりに唐突な提案とぶしつけな物言いに、コーヒーカップを持つ手が一瞬止まった。

 「新光証券さんも面倒見ますから、ウチと一緒になりませんか」

 みずほ証券のある幹部に、人を介して会談を申し入れてきたのは、日興コーディアルグループ社長の有村純一だった。この幹部は「『新光はお荷物』と言わんばかりの表現に違和感を覚えた」というが、とりあえず「日興さんと米シティグループの緊密な契約関係に割って入る方法があるというなら、教えてください」と応じた。話はいったん、そこで終わる。有村が社長に就任した2003年のことである。

 「一緒になる」とは、日興がみずほと新光をのみ込む形で3社が合併するという意味。しかし、当時の日興の置かれた状況は逆で、シティグループが出資比率を下げた場合の信用力低下が懸念されていた。有村の隠しようのない不遜さと軽薄さ。それは、日興が組織ぐるみの不正会計問題で上場廃止の瀬戸際に立つ今日の状況を予感させるような一幕だった。

バブル崩壊後の日興コーディアルグループ

 独力での生き残りが困難になり、事実上の“消滅”の危機ともいえる日興。その遠因をたどると、今から約10年前に行き着く。

 「信頼回復がすべてに優先する課題で、透明性のある体制を目指す。3度目は絶対に起こさない覚悟だ」

 1997年10月。記者会見でこう大見得を切ったのは、総会屋への利益供与事件で辞任したトップ2人の後を受けて社長に就任した金子昌資だった。日興にとってはバブル崩壊後に起きた損失補填などの証券スキャンダル(1991年)に続く2度目の不祥事。だからこそ国際畑が長く、不祥事とは縁遠かった金子に白羽の矢が立ったのだった。しかし、皮肉なことに「3度目」へのカウントダウンは、この時始まった。

リテール基盤が弱体化

 山一証券が経営破綻し、大手証券といえども独力の生き残りが困難な状況。金子は、就任半年後に、親密先だった東京三菱銀行グループ(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)を袖にする形で米大手証券会社トラベラーズ・グループ(現シティグループ)との全面提携を強行する。金子の目には、伝統的な「株屋の営業」より、インベストメントバンキング(投資銀行業務)やデリバティブ(金融派生商品)といった目新しい証券ビジネスが魅力的に映ったからだ。

 しかし、“救済”に回ったシティとの関係はイコールパートナーと言い難いものだった。それは提携の形態にも色濃く投影された。日興は法人取引を手がける部門を分離し、シティが49%出資する日興ソロモン・スミス・バーニー証券(現日興シティグループ証券)を設立した。株式、債券のトレーディングや引き受け、M&A(企業の合併・買収)のアドバイスといった成長性の高い高収益部門だけを切り分け、シティに差し出した格好だ。

 一方、残された日興コーディアル証券はリテール部門が中核。日興のもう1つの悲劇は、そうした状況下で、ドブ板を踏むような国内営業の経験に乏しい金子が旗を振ることにより、基盤となるはずのリテール部門の足腰がジワジワ弱っていったことだった。

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