2007年問題と呼ばれる“団塊の世代”の大量退職が始まっているが、高年齢者雇用安定法が改正・施行されたことにより60歳の定年を過ぎた後も65歳までは雇用機会を提供する取り組みを企業が進めている。労働政策に詳しい慶応義塾大学の樋口美雄教授は、団塊世代が労働市場から引退する2012年が本当の山場であり、それまでに総合的な働き方改革に踏み出すべきだと主張する。(聞き手は、日経ビジネス オンライン副編集長=水野 博泰)

慶応義塾大学商学部の樋口美雄教授
NBO 「改正高年齢者雇用安定法」が2006年4月に施行されたことにより、定年引き上げ、継続雇用、定年廃止といった対策を打つ企業が増えてきたようですね。
樋口 今のところ努力義務ですが、企業はかなり迅速に対応しているようです。51人以上の企業8万1382社を対象とする厚生労働省の調査によれば、昨年6月時点で85%の企業がこの法律に基づく雇用確保措置を実施済みです。60歳定年はそのままに再雇用など継続雇用制度を導入した企業は85.9%、定年を引き上げた企業は約12.9%、定年制を廃止した企業は1.2%です。
法改正の議論が始まったのはもう何年も前からでした。いわゆる“2007年問題”が間違いなく起こることは分かっていましたし、一方で社会保障、特に年金の支給開始年齢の引き上げも決まっていました。60代前半の所得保障をどうするかという視点で議論がスタートしたのです。
その時点で、日本は景気が悪くて過剰雇用が懸念されるような状況でしたから、企業側からは「そんな法律で新たな雇用義務を課されては困る」という強い反対意見が出ました。ところが、景気回復によって人手が不足してきたため、60歳を過ぎた人の雇用を確保したいという声がむしろ企業側から上がってきました。法律の力というよりも、景気の力といった方がいいかもしれません。
「定年制」とは何なのか?
法律改正の議論では、大きく3つの意見に分かれました。1つはかつて55歳から60歳に法定年齢を引き上げたように、60歳の定年制を65歳に引き上げるべきだというものです。2つ目は米国のように定年制そのものを禁止すべきだという意見。3つ目は、定年は60歳のままにしておいて再雇用というような形で年金支給開始年齢まで雇用保障するという案です。結果としては、その3つのオプションから企業が選べるようにしたわけです。
定年制を禁止すべきだというかなり強い意見もありました。本人の意欲や能力にかかわらず全員を一律に60歳で解雇するということは、時代の流れに合わないというわけです。
実際、米国には定年制がありません。年齢による差別はまかりならんという最高裁判所の判例があるからです。ただ、日本のように解雇規制が非常に厳しい中で定年制を廃止してしまうと、企業は「職場に残って働き続けたい」という人をいつまでも雇い続ける義務を負ってしまう。米国で定年制を禁止できたのは、企業側に“解雇の自由”が認められているからです。
定年制というのは、60歳になったら会社を辞めなければならない代わりに、その裏返しとして60歳までは雇用を保障するという会社と社員の“契約”です。もし定年制を廃止するなら60歳以前であっても企業が雇用調整できるようにするのが筋ですが、今の日本では現実的ではありません。今回の労働法制改革でも、解雇の金銭解決制度の法案化さえ見送られましたから。結局3つのオプションを残し、企業が選択するという現実的な形に落ち着いたのです。
先進国でダントツに高い日本の高年齢者労働力率
NBO これで、60歳以上の雇用が劇的に増えるでしょうか?
樋口 団塊世代の大量退職は“2007年問題”と呼ばれていますが、実際には60歳定年で皆が引退してしまうわけではありません。今でも日本の高年齢者の就業率は非常に高いのです。OECD(経済協力開発機構)の国際比較調査によると、60〜64歳の男性の労働力率(人口に占める労働力人口の割合)は日本が約70%でほかの先進諸国よりもかなり高い水準にあります。60歳定年を迎えた後もかなり多くの人たちが何らかの形で働いているわけです。フランスは20%程度、ドイツは37〜38%、英国や米国は50%台半ば程度です。
NBO 興味深いデータですね。こんなに差があるんですか。
樋口 ええ。どうしてこんなに差があるのか。よく言われるのは、日本人は“遊び”を知らない、定年を迎えて家でゴロゴロしていてもつまらないから居場所を求めて会社に行く。それに対してフランス人やドイツ人は、人生の楽しみ方を知っているから早く辞めて老後をエンジョイするなどと説明されるわけです。
確かにそういう面はあると思います。しかし、昔からずっとこんなに差があったわけではないのです。1967年までさかのぼるとフランスでも高年齢者の70%が働いていたのです。ドイツは日本とほとんど差がなくて80%ぐらい。その後の30年ぐらいでぐーんと下がっていった。
こうした現象が起きたのには、各国の「政策」が大きく影響したのです。石油ショック後、欧州では若年失業の問題が顕在化しました。若者に雇用機会を譲るために高齢者は早く引退すべきだということが主張され、そのために年金制度や雇用保険制度の給付要件が緩和されました。
例えばフランスでは年金支給開始年齢前であっても本人が体の不調を自己申告すれば障害者年金を受けられるようにした。働かなくてもある程度の収入が保障されるんだったらその方がいいという人たちがいるわけで、見事に早期引退する人が増えました。ドイツも似たようなことをやった。
ところが、2つの問題が起こりました。1つは財政破綻、支出拡大です。もう1つは、譲った雇用機会で若者が就職できるようになったかというとそうじゃなくて、経済そのものがシュリンク(縮小)してしまったのです。
高年齢者を引退させても若者の雇用機会は増えなかった
NBO フランスでは若年失業が社会問題になっていますね。
樋口 確かに失業率は依然として高い。だから、高年齢者を引退させて若者の雇用機会を作るという目論見は成功しなかった。そこで90年代に政策の見直しがEU(欧州連合)を中心にして進められました。それまでとは反対に、高年齢者の社会参加を積極的に促進しようというもので、「アクティブエイジング」と言われます。例えば、自己申告で障害者年金をもらえたのが医師の診断書が必要になった。申告は当然減りました。フランスもドイツも高齢者労働力率がじわじわ上がってきているのです。
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