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新日本製鉄

来年の焦点は「ポスト三村」

2007年12月17日(月)

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 12月1日。新日本製鉄の三村明夫社長は岩手県釜石市にいた。1857年(旧暦の安政4年)の12月1日、盛岡藩士の大島高任(たかとう)が同地で洋式高炉の連続操業に成功してから150年が経った。この日三村社長が訪れたのは、近代製鉄発祥150周年を記念する式典に出席するためだ。

 式典に先立ち、新日鉄の釜石製鉄所では採火式が行われた。この火は、1989年に釜石製鉄所の高炉が閉鎖されてからも細々と受け継がれてきたものだ。この火を見るたびに三村社長は「一つの感慨がこみ上げてくる」という。新日鉄の歴史が釜石に集約していると感じているからだ。

 富士製鉄と八幡製鉄が合併し新日鉄が誕生したのが70年。それ以降、日本の鉄鋼業は激動の時代を迎えることとなった。70年代の2度の石油ショックと80年代の円高で日本の鉄鋼メーカーはコスト競争力がそがれ、国内トップの新日鉄も大規模なリストラに取り組まざるを得なくなった。4次にわたる合理化計画で粗鋼生産能力は4700万トンから半減し、その過程で釜石を含む全国5カ所で高炉を閉じた。老朽化した設備が目立った釜石製鉄所は、鉄鋼不況の象徴とも言われた。

 釜石製鉄所の高炉閉鎖を決めた第4次合理化計画に、事務方として参画していたのが当時の三村氏だった。「会社が生き残るためには避けて通ることはできなかった」と三村社長は振り返るが、ピーク時には二千数百人いた釜石製鉄所の社員は配置転換などで数百人にまで減った。

リストラ時代と決別

 目を世界に転じても、1973年から2001年までの約30年間は世界の鋼材消費量が平均で年1%しか伸びない「低成長時代」が続いた。ところが、2002年以降は中国をはじめとする新興国で鋼材需要が爆発的に伸びて、鋼材消費量が5~7%のペースで増え続ける「新しい鉄の時代」(三村社長)に突入した。これまでリストラに追われ続けてきた歴代の社長と異なり、2003年に社長に就任した三村氏は“追い風”が吹く中での舵取りを任された。今期の連結売上高は前期に比べて10.4%増の4兆7500億円を計画しており、連結経常利益は4期連続で過去最高益を更新する見込みだ。

 世界的な鉄鋼需要増という追い風を受けてはいたが、常に順風であったわけではない。風雲急を告げたのは、2006年のアルセロール・ミタルの誕生だ。世界第1位が第2位を敵対的なTOB(株式公開買い付け)で買収するという“大事件”の末、粗鋼生産量が1億1720万トンという巨大な鉄鋼メーカーが生まれた。生産量で3倍以上のアルセロール・ミタルは、時価総額でも新日鉄の2倍以上の規模がある(12月初め時点)。同社は、世界トップレベルの技術力を誇る新日鉄の買収にも強い意欲を持つとされており、新日鉄は対応に追われた。

 買収防衛にひた走る新日鉄は、批判を受けながらも同業や取引先との株式持ち合いを進めた。既に安定株主の株式保有割合が5割を超えたとの見方もあるが、三村社長は明言を避ける。代わりに「アルセロール・ミタルに対する安定対抗軸は確立できた」と自信を見せる。例えば、住友金属工業や神戸製鋼所とは第三者から買収を仕掛けられた時には互いに助け合う3社連合も構築した。

 新日鉄は生産能力の拡大にも積極的に取り組んでいる。12月12日には君津製鉄所(千葉県君津市)と八幡製鉄所(福岡県北九州市)で高炉を1基ずつ大型化することを表明した。大型化に伴い粗鋼生産能力を合計100万トン増やす計画だ。

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