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残像と戦っていた出井改革

ソニー、先端のガバナンス導入後も求心力不在

  • 大西 康之, 大竹 剛

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2008年1月28日(月)

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井深大と盛田昭夫。燦然と輝く2人の創業者の理念。
その残像が変化を拒む人々の拠り所となり、変革者を苦しめた。
会長兼CEO退任から2年半。出井伸之が「改革の真実」を語った。

 1月の第2週、厳寒の日本を抜け出した財界人たちは、ハワイ・ワイキキの名門ゴルフ場で、気持ちのいい汗を流していた。

 ワイアラエカントリークラブで開かれた「2008ソニーオープンインハワイ」のプロアマ大会。参加者の何人かは、コースに面した豪奢な別荘から双眼鏡を片手にプレーを見守る2人組に気づき、手を振って挨拶をした。

 1人はこの別荘の持ち主、盛田良子。ソニーの創業者、盛田昭夫の妻である。ソニーの古株役員やOBの間では「ミセス」で通っている。巨体をかがめ、小柄なミセスに寄り添うように立っていたのはハワード・ストリンガー、言わずと知れたソニーのCEO(最高経営責任者)である。

 「ミセスをリスペクト(尊重)せよ」

 それは前任のCEO、出井伸之からストリンガーへの申し送りだった。

出井は 「古いソニー」と戦かった

(写真:石河 行康、以下同)

 創業家を大切にしないのは自分の親にツバするようなもの。創業者がいなかったら、会社は存在しない。自分がCEOの頃は、定期的にミセスと食事をして、事業の節目ではちゃんと説明に行ったが、経営に口を出されることはなかった。

 例えば、ソニー生命保険の売却を検討した時、ミセスはすぐに「あれは確かに主人が作った会社ですけど、主人の時代は主人の時代。出井さんがお売りになるというのであれば、それで構いません」と言ってくれた。

 それでも情がつながる大切さというのはある。ハワードはアメリカ人だけど、私のやり方を見てきたから、そこはちゃんと分かっている。

 企業理念の象徴としての創業家。現在の盛田家とソニーの現在の関係は、それ以上でもそれ以下でもない。盛田家はソニーの大株主ではなく、盛田家の人間がソニーのトップに立つ可能性も、ほとんどなくなった、と見ていい。企業と創業家のあるべき関係に落ち着いたとも言えるが、ここに至る道のりは平坦ではなかった。

 2007年7月、出井が委員長を務めた日本取締役協会の「企業にとって『最良のガバナンスのあり方』について考える委員会」が、「ベストガバナンス報告書」を発表した。

世界のソニーの古い体質

 報告書は企業を「創業家が経営も所有も掌握する」第1段階から、株式公開を経て、「経営は専門的経営者、株主は外部投資家」になる第3段階に分け、「創業家との距離によって最良のガバナンスの類型は異なる」と指摘する。

 出井が社長に就任した1995年の時点で、ソニーは日本屈指のグローバル企業だったが、ガバナンスはまだ第3段階に到達していなかった。

 盛田家の資産管理会社であるレイケイは95年3月期までソニーの筆頭株主だったし、会長になった大賀典雄は「創業者世代」を自任し、社用ジェット機「ファルコン」で世界を駆け回るその姿はオーナーそのものだった。

 しかし、そんな大賀も、しばしばミセスの呼び出しで東京・青葉台の盛田邸を訪れた。ミセスに詰問され、不機嫌になって帰ってきた大賀を何人もの社員が目撃している。

 一般株主より創業家、市場の論理より内輪の事情。この時点で、世界の消費者や投資家と向き合うグローバル企業であるはずのソニーは、まだそんな古い体質を引きずっていた。

 典型が89年に買収した米コロンビア・ピクチャーズ(今のソニー・ピクチャーズエンタテインメント=SPE)である。盛田の強い意向で買収したSPEはハリウッドで苦戦していたが、盛田や大賀に深く食い込んだ米国人社長が暴走し、東京からはコントロールできない状態だった。

 97年に導入した(執行と監督を分離する)執行役員制度にはアメリカを押さえ込む狙いもあった。それまでのソニーは他の日本企業と同様、取締役が執行と監督の両方を担い、チェック機関がなく、そこを悪用されていた。

 ソニーの古い体質を断ち切り、世界で戦える水準に引き上げること。それが「出井改革」と呼ばれる一連の施策の真の狙いであり、それは変化を拒む抵抗勢力との長い戦いでもあった。

 新潟県妙高市。上信越自動車道のインターを降りて15分も走ると、欧州のリゾートを思わせる洒落た造りのホテルが姿を現す。背後は広大なスキー場。だが、スキーシーズンにもかかわらず、来場客の姿はない。

 アライマウンテン&スパ。昭夫の長男、英夫が経営する盛田家の資産管理会社、レイケイの主導で開発し、93年に開業したスキーリゾートだ。

 「父親からロマンチストの性格と親分肌を受け継いだ」(ソニーOB)と言われる英夫は、車いすで楽しめるバリアフリーのスキー場とホテルを目指した。それは「日本が世界に誇るリゾート」(ソニー関係者)だったが、レイケイの投資総額は500億円に及んだとされ、開業当初から苦しい経営が続いた。

 開業から数年後、見かねたソニーが助け船を出そうとしたことがある。「ソニー・スポーツエンタテインメント」。ソニーやグループ会社が出資する受け皿会社を作り、アライマウンテンを支援する構想だ。

 それはソニーの意思ではない。創業家をおもんぱかる人たちが動いただけだ。私が社長になった時、英夫さんとの間で「ソニーはレイケイの問題に絡まない」という約束をした。英夫さんたちから見れば、ソニーは「300年以上続いた盛田の歴史の中で、たまたまバブった関係会社」に過ぎない。スキー場は盛田家の問題であり、関係会社のソニーが口を出す筋合いではない。

 助けてくれと言われたことは一度もない。ソニーの株価が下がったことについては随分、怒られたけどね。

 結局、ソニー・スポーツエンタテインメントによる支援は実現せず、2006年、アライマウンテンはスキー場とホテルの営業を停止した。現時点で再開のめどは立っていない。

 レイケイはその後、自動車レースのF1関連事業でも巨額損失を出し、2005年に解散。担保にしていたソニー株の大半は既に手放していた。松下興産が社名を変えて清算手続きに入ったのと、奇しくも同じ年である。

 創業家による「所有」の問題は、こうして解決した。だが、これですべての呪縛が解けたわけではなかった。ソニー初の「専門的経営者」である出井には、もう1つ越えねばならぬ壁があった。求心力の問題である。

 専門的経営者が一番担保できないのは求心力。創業家の人間は黙っていても求心力を持つが、専門的経営者にはそれがない。

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