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危機感駆動型ニッポンの危機!?【続編】

日本人の“無謬信仰”こそが閉塞の元凶だ

  • 竹中 正治

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2008年3月21日(金)

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 前回の論考『危機感駆動型ニッポンの危機!?』に寄せられた35件のコメントを見る限り、今の日本に本当の危機感があるのか、あるいは日本が危機感駆動型とは違ったやり方で変革できるのかについては、ご異論の方々もいた。しかし、私たち日本人の類型(平均的な性向)が危機感駆動型である点については一致した同意をいただいたようである。

 その中で1つ、私の心を捉えた次のようなコメントがあった。

「一方で日本企業は、危機管理の点で詰めが大甘です。リスクを見て見ぬふりをしてフタをするからではないかと思います。ネガティブなことを言うと忌み嫌われることがあります。特に経営者の方々にコンサルタントが『御社にはこういうリスクがあります』というようなことを言うと『縁起が悪い』といって怒られる」

 なるほど、日本の組織、社会は危機管理が甘いと言われてきた。もちろん、日本の組織に「危機管理がない」わけではない。

 例えば2004年の新潟県中越地震の際に1人の死傷者も出すことなく緊急停止した上越新幹線、あるいは昨年の中越沖大地震の時に想定の2倍以上の激震にもかかわらず放射能漏れを起こすことなく緊急停止した柏崎刈羽原子力発電所など、こうした事例を見ると、想定された緊急時に対応する高度な危機管理も実現されている。つまり「想定される地震に対する安全度の向上」というような事業の計画通りの遂行には強い執着力を発揮する組織なのだ。

危機感は十分過ぎるのに危機管理は杜撰という矛盾

 ところが、不確実な現実の中で様々な悪環境を想定し、期待通り進まなくなった場合の次善策や軌道修正、代替策を用意しながら事業を進めることはひどく苦手のようだ。想定された情勢と現実が大きく乖離し始めても、「決められたことだから」とどんどん進められてしまう莫大な公共事業、薬害情報が上がってきても「使用中止」を通知せずに被害を広げてしまう行政など枚挙にいとまがない。

 一見矛盾する日本人の危機感駆動型と危機管理の杜撰さはどのような仕組みで並存しているのだろうか。エコノミストとしての領域から外れて(とっくに外れているだろうが)政治学や社会学の領域に突っ込みそうだが、この分野ではアマチュアの特権で大胆に思考の羽を広げてみよう。

 工学が専門の東京大学名誉教授、畑村洋太郎は著書『失敗学のすすめ』(2000年、講談社)の中で、様々な致命的な事故が「失敗と上手くつき合うことができなかったことが原因」で起こると述べている。要するに、失敗の発生を前提とし、小規模の失敗が生じた時にはそれが大規模な失敗に発展しないようなフィードバックを働かす、あるいは起こった失敗の諸事例から失敗の要因と法則性を抽出して未然に防止する仕組みを整える──、そうした運営、学習に日本型の組織、教育は弱いのではなかろうかと指摘している。

 なるほど、その通りだろう。これは今に始まったことではない。旧日本軍の組織的弱点を分析した『失敗の本質─日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか著、1984年、ダイヤモンド社)を読まれた方は多いだろう。「失敗の本質」から浮かび上がってくる1つのポイントは、旧日本軍が作戦の立案から遂行まですべての面にわたって、失敗した場合の代替策を用意せず、成功も失敗も合理的に分析して教訓を抽出することのない組織だったことだ。

 合理的で柔軟な戦略形成が不在だから、特に戦争の後半戦では兵力において勝る米軍に対して、本土防衛の危機感を煽り、あるいは「精神力では勝っているから勝機はある」などという陳腐な鼓舞を繰り返し、玉砕していったわけである。

 そもそも対米開戦の是非について、政策の意思決定過程で様々なケースを想定した戦略シミュレーションが行われていれば、軍事・生産能力における彼我の差は歴然としており、開戦は無謀な策として退けられただろう。その結果、外交を通じた妥協・妥結が志向されていただろう。ところが結局、東条英機の「人間たまには清水の舞台から目をつぶってとび降りることも必要だ」という情緒に支配され、危機感を煽りながら、危機管理のない戦争に突入したのだ。

コメント23件コメント/レビュー

無謬信仰という表現にはなるほどと思わされました。その原因について考えていたのですが、負けた経験、負けた組織に所属した経験が全体として不足しているのではないかと思い至りました。能力不足の指導者についていっても何とかなるのであれば、指導者の万能を信じていてもいいでしょう。でも厳しい競争環境の中では指導者の能力は生きるか死ぬかの分かれ目です。そういう経験をしていれば何にもまして真剣に指導者を選ばざるを得ないはず。日本の問題はそういった経験が広く国民に共有されていないことにあるのではないでしょうか。(2008/03/26)

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無謬信仰という表現にはなるほどと思わされました。その原因について考えていたのですが、負けた経験、負けた組織に所属した経験が全体として不足しているのではないかと思い至りました。能力不足の指導者についていっても何とかなるのであれば、指導者の万能を信じていてもいいでしょう。でも厳しい競争環境の中では指導者の能力は生きるか死ぬかの分かれ目です。そういう経験をしていれば何にもまして真剣に指導者を選ばざるを得ないはず。日本の問題はそういった経験が広く国民に共有されていないことにあるのではないでしょうか。(2008/03/26)

まことに論理的な考察と見解であり,非常に参考になります.無謬であることが不可能であることは,工学的には当然です.交通事故0を目指すのは当然ですが,0を達成することは困難です.達成すべき目標と実現可能な方策の間には,差があります.これを認めることが論理的考察の第一歩と考えます.文系の人でもまともな考察を公表されている方がいて,大変うれしい.(2008/03/25)

私は日本が危機駆動型の社会であるのは日本人の国民性に由来していると考えています。日本人のディテールに対するこだわり、それに伴う工業製品の精緻さや製品品質の高さは、日本が目先の問題に対して組織的に対処法をつくりだしてゆく危機感駆動型社会であることの一側面でしょう。世の事象をおおづかみなbig picture型の仮説でとらえ、その仮説をデータに基づき検証し、一定の検証を経た仮設に対処すべく論理的に戦略を組み立ててゆく「社会科学的な構想力」はアングロサクソンの得手とするところですが、彼らの国のサービスや工業製品の品質の「雑さ」はそのstrategyやbig picture指向に由来する一側面でしょう。社会科学的な構想力を育成するのは教育であることを思うと、当分は危機駆動型の社会のメリットもデメリットも甘受せざるを得ないのではないかとあきらめています。(2008/03/24)

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