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“ニセ吉兆”へ変貌の瞬間

料理人が受けた「一期一会」返上の指示

  • 田中 成省, 鈴木 裕美

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2008年5月19日(月)

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 「手つかずの料理は食べ残しとは違う」。船場吉兆(大阪市)の湯木佐知子社長は、再利用した料理の表現にこだわった。

 消費期限切れの食品販売、食材の産地偽装などに続き、今度はお客が箸をつけずに残した料理を盛りつけ直し、別のお客に提供していた不祥事。大阪・船場の本店では2007年11月、博多店では同12月の営業休止まで常態化していたという。

 だが、「食べ残し」か「再利用」かという言い回しに社長が拘泥する姿は、船場吉兆が「吉兆」の看板を掲げる資格のない店に成り下がったことを広めたに過ぎなかった。吉兆はそもそも、料理の再利用とは対極にある精神を理念とする料亭だったからだ。

「支店を出してから変わった」

 「一期一会の心」。料亭の最高峰として吉兆を語る時のキーワードだ。かつて、日本料理の本質をつかもうと、吉兆に予約を入れ続けたお客がいた。毎日通い詰めているのに一度も同じ料理が出てこない。その懐の深さに驚嘆したお客に、吉兆の創業者である湯木貞一氏は言った。「一期一会ですから」。

 同じお客でも昨日と今日の出会いは違う。その時の精いっぱいの心でもてなし、趣向を凝らした最良の料理を作る。吸い物は食事の進み具合に合わせて1組ずつ別々に鰹節を削ってだしを取り、最も香りが良い状態で提供する。鮎の塩焼きは、本当に川を泳ぐ姿に見えるように魚体をくねらせる「踊り串」を打つ。そして、香魚(こうぎょ)とも呼ばれる鮎の香りを堪能できる加減で火を止め、お客の目を楽しませるために温石に載せて客席に運ぶ。

 今回、再利用が発覚した料理の1つが、この鮎の塩焼きだった。船場吉兆は「吉兆の料理」を出さなくなった。だが、それはいつからなのか――。

 転機は1994年に訪れた。吉兆は91年、親族が料亭5社の社長を務めるグループ会社制に移行した。折しもバブル崩壊直後。親族はそれぞれが料亭受難の時代を生き残る必要に迫られた。

 大阪・船場の店舗を受け継いだ船場吉兆の当時の社長は、貞一氏の娘婿である湯木正徳氏。多角化を進め、規模拡大を図った。最初の勝負は94年。初の支店である心斎橋店を出店した。

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