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巨大企業をつなぐ不可解な点と線(後編)

「幼馴染み」の間に交わされたもの

  • 児玉 博

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2008年12月15日(月)

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 わずか6名ほどのしかも地方のコンサルティング会社が、なぜスーパーゼネコン「鹿島」に食い込み、億単位の裏金を動かせたのだろうか。

 コンサルティング会社「大光」の代表である大賀規久とはどのような人物なのか。どのようにして財界の裏側の影響力を行使できるようになったのだろうか。

 大賀が生まれたのは大分県の南部にある佐伯市。太平洋に面したこの街は戦前軍港として栄え、沖縄決戦の行きの燃料だけを積み、彼の地に向かった戦艦「大和」の本土最後の寄港地であった。

 大賀の実家は戦前、港近くの「大賀金物店」の看板を出して商いを行っていた。規久は女1人、男5人の4番目。幼少の頃から活発な子供で、夏ともなれば真っ黒に日焼けし、日がな一日海水浴を楽しんでいたという。

 「大賀、今から飛び込みます」と、おどけながら海に飛び込む風景を覚えている地元の人間も少なくない。

 大賀は地元中学を経て、地元の名門・佐伯鶴城高校に進学する。この高校の同窓に後のキャノンの社長となる御手洗冨士夫がいた(御手洗は後に東京・小山台高校に転校)。

 スイミングスクールが全盛を迎える以前の昭和40年代半ばまで、水泳界で「佐伯鶴城」の名を知らぬ者はないと言われたほど、同校は多数のオリンピックスイマーを輩出している。また、同校から法政大学に進学し、六大学リーグ通算48勝を挙げ、“小さな大投手”と呼ばれ、バルセロナオリンピック野球競技で日本代表監督を務めた山中正竹もOBの1人である。

 現在、御手洗は横浜市内の自宅に住んでいるが、その土地の所有者であり、自宅の設計・施工を請け負った「日建」の代表者、大賀建三は規久のすぐ上の兄であり、御手洗とは高校の同級生である。

 ちなみに、御手洗の後継社長、内田恒二も佐伯鶴城の同窓である。グローバル企業「キヤノン」にあって、御手洗の郷土への偏愛は何を物語っているのか。

 大学を卒業後、建三は御手洗とともにキヤノンカメラ(現キヤノン)に入社。数年は在籍したものの、退社し、佐伯市内で長兄が経営していた「大賀建材」に入社し、数年後に社長となる。弟規久もほどなく入社し、男兄弟3人で「大賀建材」を切り盛りしていくのだった。

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