およそ300年前、大阪の近くにある堂島取引市場に集まったコメ商人たちが、現代のデリバティブ(金融派生商品)産業を生み出した。彼らは古典的な経済上の問題に直面していた。コメの売価が、生産コストよりも大きな振れ幅で変動するため、経済的に極めて不安定な生活になっていたのだ。
そこで彼らは将来の決められた日付に、あらかじめ定まった価格でコメを届けることを記す証書を書き始めた。市場が進化するに連れ、実際にコメを一切保有せずとも、証書だけを取引することが可能になった。
コメ商人の実需から生まれたデリバティブ取引
この歴史的事実は、2つの点において特筆すべきだ。まず、デリバティブ取引が、事業の不安定を取り除きたいという、コメ商人の実需から生まれたことだ。
そして、これらの取引を編み出したのがコメ商人であり、何年もの高等教育を受け、洗練されたコンピューターの収支予測モデルを持つ金融家ではなかったことである。彼らの金融イノベーションはコメの生産という、現実に価値を生み出す経済活動に根ざしていた。いつの間にかグローバル経済の大半を支配し、それ自身が自己目的化した金融エンジニアリングの類ではなかった。
現在のデリバティブトレーダーのうち、いったいどれだけの人が、自分が取引している商品のことを理解しているだろうか? ある企業から債券を買い入れ、それを商品先物や為替相場の変動に対してヘッジしようとする時、彼らはその取引の原資産となっている有形の資産について考えることがあるのだろうか? トレーディングを始めるよりも前に、原油を触ったり、実際に商品をタイバーツで支払ったり、あるいはサブプライムローンを借り入れたりしたことがある人はどれほどいるのだろうか?
同様に、実際のビジネス上の課題に取り組むよりも先に、エクセルで収支予測を作ったり、パワーポイントで戦略プレゼンテーションを作ったりすることに没頭している経営幹部やコンサルタントがどれほどいることか。
ここにビジネス教育の根本的な問題がある。いつの間にか、ビジネススクールが教えることが現実のビジネスから懸け離れたものになってしまったのだ。
社会との間に溝を作った“犯人”となってしまった
ビジネススクールは、経営やビジネスについて知的な思考をするための活気にあふれる場であり、重要な役割を果たす教育機関である。また、経済と社会生活が交差する場所でもある。
しかし、ビジネススクールは、自らが教育するエリートと、奉仕すべき社会との間に大きな溝を生む“犯人”となってしまった。ビジネススクールは普通の人には全く縁もゆかりもない、独自の言語と行動規範を作り上げたのである。
これは極めて深刻な問題だ。ビジネススクールは、自分たちがやっていることは何か、そもそもビジネススクールは必要なのかについて、改めて問い直す必要がある。
私が2004年から2006年に通ったハーバードビジネススクールを含むいくつかのビジネススクールは、すでにこの問題に取り組み始めた。しかし、実際に多くのビジネススクールがこの問題に向き合うようになったきかっけは、金融危機と、すでに広まっているビジネスリーダーに対する世間一般からの怒りだった。
批判する声は、次のようなものである。
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