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“100万円道路”の村が古代史の里に

「昭和40年代はダム工事、50年代は公共事業で潤った。3年前からとんとお客が減りました」

  • 宮嶋 康彦

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2009年5月29日(金)

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 旅館を営むその家族との出会いがなければ、この村は、とおに、記憶の隅に隠れていたかもしれない。蛍旅の途次であった。椎葉村、諸塚村、西米良村といった九州の脊梁といわれる山深い村里に、源氏蛍の生息地を索めて旅を重ねていた。南郷旅館は宮崎県東臼杵郡南郷村大字神門(みかど)にあった。

 蛍の撮影は、川原にテントを張り、一晩中、体を濡らして妖しい光に酔いしれる。それは何ものにも代えがたい至福の時には違いない、しかしながら、この道を来たことに迷いは生じないが、ときには宿を取り、まともな食事と、安らかな眠りを貪り、体を清潔にしたい、と衝動が湧き上がる。

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 したがって、あらかじめ投宿先を決めておくことはなく、いつも、行き当たりばったり、体力と気分で宿を取る。このときも、いきなり、むさくるしい格好で玄関に立ち、一晩の宿をもとめた。

 車から下ろした大仰な機材を見た女将が「何かの撮影ですか」と訊ねた。「蛍です」と応えた。たったそれだけの短い会話が、この村の、神門という土地の、想像を絶する奥深い風土に触れることになるとは、思いもよらないことだった。

 壬申の乱、古代朝鮮、百済と新羅、白村江の戦、百済王族の亡命、そして西の正倉院建設、韓国元首相や歴代韓国駐日大使の来村…。

 日向から椎葉へ至る国道は、狭く、曲がりくねっていた。1時間ほど走ったところで、おやっ、と思い、車を急停車させた。バス停の名が「卸児(おろしご)」となっている。さらに行けば「ながされ」「児洗」とつづく。「うぶの」という集落もあった。不思議な感慨を抱いて看板を撮影していった。やがて国道脇に「百済王貞嘉帝古墳」という文字が飛び込んできた。いったいこの土地で何があったのか…。

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 赤信号で停車したそこは南郷村役場前、「神門」という地名である。「百済の里」の表記も見える。村役場から遠くない場所には神門神社があった。車を降りて、神社の由緒書を読めば、伝養老2(718)年創建と書いてある。百済王朝滅亡の後、王族がこの地に移り住み、崇敬されて神として祀られたという。つまり、主たる祭神は百済の人である。

 宿の夕食を済ませて間もなく、女将が部屋を訪ねてきた。

 「よかったら蛍の話を聞かせてもらえませんか、蛍がたくさんいる村ですけど生態など、解らないことばかりです」

 私はすぐさま、女将の後に従った。事務所に入ると家族全員が迎えてくれた。後にも先にも、投宿先の主人から“講義”を頼まれたのは初めてのことだった。私は嬉しくもあり、熱弁を揮った。生徒は御主人夫婦と長男と長女、4人は質問を交えながら熱心に耳を傾けていた。ときおり、家の中に営巣した燕がチッチと鳴く声が聴こえてきた。2000年6月9日のことであった。

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