京都の老舗かばんメーカー「一澤帆布工業」を舞台にした相続問題が、決着に向けて大きく動き出した。6月23日に開催された最高裁判所第3小法廷(藤田宙靖裁判長)で、故一澤信夫氏が所有していた同社株の相続権が長男にないことが確定したのだ。
一澤帆布の創業は1905年。帆布と呼ばれる丈夫な布で製造されたかばんは耐久性とシンプルなデザインが特徴だ。幅広い世代から支持され、「一澤帆布」の名は全国に知れ渡った。
転機を迎えたのは、3代目の社長であった信夫氏が死去した2001年3月。年間売り上げが10億円を超える人気店の相続を巡り、長男と三男が激しく対立する遺産争いに発展した。
2通あった遺言書
京都の老舗ブランド店で起きた“お家騒動”ということで、テレビのワイドショーや週刊誌などでもたびたび取り上げられた。また、中小企業の経営者にとって今回の出来事は“他山の石”とすべき教訓が秘められている。多くの中小企業にとって、経営権のスムーズな移行は極めて重要であるからだ。
今回の裁判では遺言書の筆跡鑑定がどこまで科学的であるかも焦点となった。
信夫氏が作成したとされる遺言書は2通あり、2004年12月の最高裁判決では長男が所有していた遺言書が本物であると認定されていた。三男側の敗訴は確定していたはずだったが、2007年に三男の妻が起こした訴訟によって長男有利の遺言書が「著しく不自然で不合理」として本物と認められなくなったのだ。
2度の最高裁判決で全く異なる内容となったのはなぜか。とりわけ、今回の騒動は登場人物が多数いるので分かりにくい。そこで、時系列に沿ってこれまでの流れを整理してみよう。
もとは「赤字すれすれの零細企業」
信夫氏には4人の息子がいた。長男の信太郎氏、次男、三男の信三郎氏、そして四男の喜久夫氏。次男は早世したので、信夫氏は妻とともに3兄弟を育て上げた。
信夫氏はかばん職人としてだけでなく教育者としても優秀だったのだろう。長男の信太郎氏は京都大学を卒業後に東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。三男の信三郎氏も朝日新聞社に入社した。四男の喜久夫氏は手が器用で、絵を描くのもうまかった。一澤帆布のシンプルで実用的なデザインの大半は、喜久夫氏の手によるものだという。
一澤帆布の売り上げが大きく伸びたのは、信三郎氏が家業を手伝うようになった1980年からだ。喜久夫氏は病気がちであったため、信夫氏は長男か三男に家業を手伝うことを求めたという。当時の話し合いで実家の近くに住んでいた信三郎氏が家に戻ることになった。
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