(前回から読む)
第1話でお話ししたように、ヨークシャー・テリアのピピは11歳で腎不全を患い、2008年12月27日に虹の向こうに旅立っていった。病の宣告をされてからの9カ月はもとより、一緒に暮らし始めた当初から、私はいつも「よい獣医さん」を求めて、涙、喜び、挫折、焦燥の混在する行脚の旅にあったといえる。
人の言葉をしゃべらない相棒の代弁者として“どんな小さなことでも変化を見つけたら獣医師に相談する”というのが、私の生活における鉄則であり、トップ・プライオリィーだと学習させられた。

最初は「でも、こんな些細なことを気にするなんて、過保護の飼い主だと思われないかしら」「先生も忙しいそうだし…。何度も同じような質問をするのも気がひけるし…。神経質だと思われたくないから」「ピピは怖がりだから病院で吠えたり噛んでしまうけれど、しつけをしていないと誤解されるのは恥ずかしい」「私がしつこくして先生に疎ましがられ、もし入院中のピピに差し障りがあったら…」などなど。
今振り返るとピピのことよりも、「医師から自分がどう見られるか」ということばかりを気にしていたと反省する。
獣医に対する、遠慮ともためらいともいうべき逡巡は、コンパニオン・アニマルのオーナーには多かれ少なかれ、経験があるのではないだろうか。
そんな気持ちが吹っ切れたのは、第4話でご紹介したドッグ・トレーナーの三好春奈さんの一言だった。
“物言えぬ命の代弁者”としてできること
「言葉がしゃべれない者の代弁者として行動することは、“しすぎ”くらいでちょうど良いんです。気にしすぎや、やりすぎということは決してありません。小さな変化に病気や心の訴えが隠されているのです。それはあなた以外の誰が気づいてやれるでしょう?」
以来、私は獣医師にあきれられようと無視されようと、どんな些細な変化でも「ピピの代弁者」として報告し、アドバイスを仰ぐと同時に、折々に必要な獣医師をみつける粘り強さと勇気を持つよう心がけた。
そして、看病の間ずっと私は自分自身に対して問い続けた。
獣医師との気づまりや衝突を恐れて、楽な方を選んでいないか。
「物分かりのよいオーナーであること」に逃げていないか。
獣医師とコミュニケーションを取ることを、諦めていないか。
つまり、「真摯に、その小さな命を代弁しているのか」と。
そんなことを振り返っていると、経営者の友人からこんなメールが入った。
「出張前に病院に預けたうちの猫が、出張中緊急手術を受けたのだけれど、1カ月入院と言われて…。その病院は隣のケージに大きな犬がいて、うちの子もストレスがたまるし、心配。1週間経つけれど、深い部分の縫合がうまくつかないようで再手術と言われてしまって…」
普段の、理性的でクールな友人とは違う、取り乱したメールには「猫や病気のことを、もっと勉強しておくべきだった」「動物保険にも入っておくべきだった」と自分を責める言葉も連なっていた。
私は、以前彼女の猫の症状やそこでの治療法を聞いた折に、ふと不安を覚え、ピピがお世話になった金沢聖子医師を紹介していた(第1話でK獣医師として登場。ウェブサイトはこちら)。
コンパニオン・アニマルのためには、獣医も1人だけでなく、分野、方針、診察日時の異なる人2〜3人と縁を築いておくのが重要だということは、私が体験から学んだことの1つだった。だから彼女にも、近くの病院の医師のほかに金沢医師を紹介したのだ。
さて、友人から悲痛なメールが届いた時、仕事中とは承知しながらも私はすぐに電話をした。
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